準備と屈伸—「朗読バトルゲーム」終了

週の真ん中の祝日、ようやく落ち着いて振り返ります。
もう先週、2月16日(木)は、「朗読バトルゲーム」の5thシーズン決勝大会に出てきました。まだアーカイブがご覧になれますので、有料ですがよろしければどうぞ。私を含め、6名が出ています。

https://twitcasting.tv/voicevoice0701/shopcart/214609

優勝は佳穂さん、準優勝は土屋佐知子さんでした。おめでとうございました。私は選外でした。主催者から「順位が知りたい場合は個別にお問い合わせを」というアナウンスがありましたが、遠慮しておきました。

前にも記したような気がしますが、行きがかり上参加していた「競技朗読」からはこれで引退です。個別個別の場でいただいた栄誉は栄誉として、これからは新たな作品の「発掘」に力を注いでいきます。

これは昨年受講した「朗読指導者養成講座」で立てた方針の通りです。

とはいえ、誰かと「読むこと」を競うのは芸を磨く上で絶対とは言わずとも、とても重要な過程だと思いますし、初心者の方も意思がおありであればどんどん挑戦されるべきです。自分も高校時代の放送コンテストを皮切りに、青空文庫、跡見、文化協会と何回となく受けたり出たりもし、褒められたり少ないながらも貶されたり、そもそも落ちたり(これは多数)を繰り返し、その度、さまざまな方と現在まで続く得難い関係が結ばれました。

ただそれらはいずれも、他人の評価に自らをさらすという意味の行為であり、それを原動力として自らの読みを進めるという側面が、徐々に強くなってきた気がしました。

そうではなくて、内在する自らの熱をもっと煽って煽って、ちょうど昨夜大須演芸場で「扇橋報告」という、入船亭扇橋+ゲストに春風亭一之輔という豪華な顔付けの会を聴いたのですが、ちょうど「うどん屋」で一之輔師が語るうどん屋が扇で炭火を奮い立たせるような、そのイメージ。自分で自分の機嫌と調子を取っていきたいと思います。

「そこ」で勝とうが負けようが、重要なのは「その後」であり、朗読してる限りは準備と屈伸が続くのですから、と一丁前なことを申し上げておきます。

上のアーカイブで読んだ「どんぐり」、早速自分のツイキャスでも読みました。
下のリンクの2分50秒あたりから22分手前までです。バトルゲームでは15分という制限がありましたのでスピード重視で読み切りましたが、そこから5分延びるとここまで変わるものなのだな、と自分でも驚きました。こちらもどうぞご贔屓に。

https://twitcasting.tv/afrowagen/movie/759623656

さて、次は明後日、25日の柳ヶ瀬です。仕込みは今夜からです!

始まりは2019年の4月18日でした

確認したら、始まりは2019年の4月18日でした。

2009年の「カラフル3」と連携して以来、お付き合いの続いていた愛知県高等学校演劇連盟(名古屋事務局)主催による「高校生のための演劇教室」という鑑賞行事がありました。

2009 劇団コーヒー牛乳・劇団帰ってきたゑびす(「カラフル3 HighSchool Meeting」として)
2014 ゲキバカ(東京都)「男の60分」
2016 飛ぶ劇場(北九州市)「睡稿・銀河鉄道の夜」
2017 天才劇団バカバッカ(東京都)「DADDY WHO?」
2019 壱劇屋(大阪府)「劇の劇」

遡るとこの5本でお付き合いしたことになるわけです。

そこの2020年の演目として、T-worksの前々回公演「Negotiation」を採択していただき、私はいつもの通り、顧問の先生方とともに行事の運営にあたる高校生の子たちの後方支援にあたるものとスケジュールしていたのでした。

しかし、ここでも憎むべきはコロナウイルスでした。

緊急事態宣言と休校明け直後となった2020年は言うにおよばず、その翌年にも何とか実現の可能性を追求したのですが、何ともならず中止の判断を下したときに、拾う神が現れました。長久手市文化の家の、当時演劇を担当していた方が、事業の中で空きがあるのでうちでどうですか?と声をかけて下さったのです。その結果実現したのが、一昨日まで開催したT-works #5「三文姉妹」でした。

https://togetter.com/li/2063877

  

その長久手での本番が2月4,5日の両日、3ステージをもって無事終了いたしました。ご来場の皆様、誠にありがとうございました。当日のお客様の感想などはこちらでご覧下さい。

気がつけばコロナも第8波。どうにかこうにか、1度も陽性を喰らうことなく過ごすことできたのは、これを何とか、何を成功とするかと言われると難しいけれど、3年越しの関わりとなったこれをきちんとした形で終わらせなければ、という思いはありました。だから、一層悔しいのです。ごく限られたお客様にしか観ていただけなかったことが。

T-works、ぜひまた愛知でお呼びしたい。そして野心溢れる劇作家と演出家の組み合わせて展開されるハズレなしの作品群を、より多くの皆様に知っていただきたい。制作者として、久しぶりに前向きになれるプロジェクトと、それに関わる人々にお目にかかれた気がします。受け入れて下さった長久手市文化の家の職員の皆様にも、深い敬意と感謝を。

こんなイラストをササッと書ける人材がいる劇場なんて、そうはないですよ。

今週末は大阪公演。私も伺うつもりです。

あたらしい螺旋へ―2022年末

新年あけましておめでとうございます。いま、午前2時を少し過ぎた一宮市の実家の居間でこれを打っています。旧年中は多くの方に大変お世話になりました。今年も何卒よろしくお願い申し上げます。

昨年の今頃、何を書き残していたかしら、と思い読み返してみれば、何のことはない、これから書こうとしていることと大きくは違わなかった点と、この段階があったから今、こういうところに来たのだな、と納得できる点の両方がありました。

9月、役者を引退します、と申し上げました。

それ以来、とても身体が軽くなったような気がします。もちろん、物理的には大して違いはなく、あくまで気の持ちようで、ということですが、普段言葉を使った表現をしている人のくせして、実際に口から出すことの効果を見誤っていました。
この調子でいこうと思います。そして、より深く。

何を?かといえば

・「濃尾」→愛知を、岐阜をより広く、深く。さまざまな作品の発掘を通じて

朗読者としてはまずこれを、ライブの朗読とYoutubeを一層活用して進めます。「岐阜のつたえ話」もちろん、読み手としていろいろなところへ旅をしてみたい。

そして、公演制作の方面では

「交流」→実際の上演だけでなく、多様な形の知識と技術の交流を図る

ここは一応、2015年にワークショップデザイナー(地域教育育成専門員)の資格はいただいていますので、その腕が錆びつかないよう、愛知・名古屋地域に新しい風が吹くような企画を組みます。すでに動き始めているものもあります。そこは特に声と身体、演劇的スキルに関するものを中心とした取扱いになると思います。ご期待ください。

まずはさっそくこの3が日のうちに1本アップします!しますとも!

《2022年の記録》
※柳ケ瀬「朗読濃尾(ノーヴィ)」
その139 1月8日(土曜日)
その140 4月9日(土曜日)
その141 5月14日(土曜日)
その142 6月11日(土曜日)
その143 7月9日(土曜日)配信のみ
その144 9月24日(土曜日)
その145 10月22日(土曜日)
その146 11月23日(祝日)
その147 12月24日(土曜日)

※2,3,8月は中止

※刈谷市広小路「ディマージュの庭」
その15 1月15日(土曜日)
その16 2月19日(土曜日)
その17 3月19日(土曜日)
その18 4月30日(土曜日)
その19 5月21日(土曜日)
その20 6月18日(土曜日)
その21 7月16日(土曜日)
その22 8月20日(土曜日)
その23 9月10日(土曜日)
その24 10月15日(土曜日)
その25 11月12日(土曜日)
その26 12月22日(水曜日)

6月11日~12日 順風男女公演「おてんこうてんおてんてん」
(於・長久手市文化の家光のホール)
9月11日 劇団シアターホリック「夜明け前≒LostGeneration」(於・G/PIT)
10月9日 朗読四都MONOがたり
(於・ホテルウイングインターナショナル渋谷)

「朗読四都MONOがたり」終了

話が持ち上がって9か月、本格的な準備からたぶん半年を経て、昨日「朗読四都MONOがたり」が終わりました。ご来場の皆様、当日運営をお手伝いいただいた皆様、気にかけていただいた皆様、誠にありがとうございました。
遠く離れた場所から集った者たちで1本の朗読会を企画するというのは、もちろん個人的に初めての体験であり、ペース配分や仕事量に戸惑ったことも多くありましたが、何とか大過なく終えられたように思います。
今回の会の「4人が自分で選んだ作品を持ち寄って読む。しかもそれぞれの土地縛り」というコンセプトは、これまで私が3回にわたって企画した「朗読会拓使」に基づいていたことに、終わって改めて気づかされました。「2つの街で、2人の読み手が、1つの作品をそれぞれ連れてきたミュージシャンとともにセッションする」ことと比べて、より地域への視線を強め、それぞれの作品をひとり(単独=モノ=MONO)で語れば、1本筋は通るのではないか、と。
間に前尾津也子さんから提案のあった4人での朗読を挟むこと、そしてオヤビン佐藤さんの蓄音機の演奏により、コントラストが一層明確になりました。そのような意見交換、アイディアのすり合わせの下で進められたのも幸せなことでした。
何に、どこに基礎をおいて朗読をしていくか?
昨年からの指導者養成講座と今回で、もしかしてこれじゃないか、というものが見えたような、そうでないような…。断言は避けますが、少なくとも深める方角については認識できたように思えます。あとはこれをどれだけ繰り返せるか。時間は有効に使っていきたいと思います。
私の分の朗読、小酒井不木の「変な恋」については、準備ができ次第Youtubeにアップしたいと思います。お楽しみになさってください。
前尾さん、今日も普通に司会の現場だった富田欽一さん、ちゃんと札幌に帰ったのか聞いてない(笑)髙橋貴美さん、そして最初から最後まで颯爽としていたオヤビン佐藤さん、本当にありがとうございました!
さて、また明日からは一歩ずつ。
今週土曜日、10月15日はまた「ディマージュの庭」です。

ここからひろがる—「ディマージュの庭」第23回

シアターホリック名古屋公演のあった週は、偶然私のいつもの朗読と重なりました。本来ならば月の第3週に行われる刈谷市のギャラリー「ギャルリ・ディマージュ」での「ディマージュの庭」が、1週繰り上がったためです。そして、その繰り上がりの理由が、個人的にはグッとくるものでありました。

2020年の秋、まだ移転前の、JR刈谷駅近くにあったディマージュで始まったこの企画は、毎回ひとりの詩人を取り上げ、その人となりを私が毎回取材して話したり、たまには作品を読んだりという1時間の内容で、これまで22回繰り返してきました。

そのことを当日報でもなかなか書かなかったのは、ありていに申し上げて、今も現役で活躍されている方、また鬼籍に入った後も著作権保護期間が続いていて、その許諾に一定の時間を要してしまう方の作品群に触れることもあり、そこがクリアされない方の作品を読みます・読みました、と申し上げる訳にはいかなかったという事情でした。なので、これまでSNSで公開したもの以外については今後もお知らせはしないつもりです。何卒ご了承下さい。

そういうディマージュの庭の中でも、ここまで通して行ってきたのは、ギャルリ・ディマージュのオーナー、角谷さんの夫君、清和さんがずっと書いてこられた詩を1本読むということでした。その本数がたまってきたこの秋、清和さんの詩と、陶芸の徳竹秀実さんとの2人展「詩と土の歌」が行われることになったから、このタイミングで読んでくれないか、というお誘いをいただきました。

本当、ささやかなものでしかないかもしれない。でも続けてきて良かったな、と思えました。私の朗読が、私のあずかり知らないところで拡がって伝わる、その最もわかりやすい例が生まれたわけですから。

その一部をご覧に入れます。

「景色が海へと」という詩を読んだあたりです。完全版は編集した上、来週の今ごろにはアップしたいと思います。よろしくお願いいたします。

トップの写真は清和さんと徳竹さんに挟まれた私。お世話になりました。

次回は10月15日です。刈谷市の方、ほかお近くの方、ぜひ1度ディマージュにお越し下さい。お待ちしています。

劇団シアターホリック 名古屋公演終了!

9月の日曜日のみの公演、という変わった形ながら、高知からやってきた劇団シアターホリックの公演「夜明け前≒LostGeneration」が終わりました。開催のお知らせから本番までわずかな期間しかなかったため、お知らせが行き届かなかったという方もいらっしゃるかもしれません。ごめんなさい。とはいえ、どうにかこうにか、恰好は何とか……、という数の皆様にご覧いただくことができました。ご来場の皆様、誠にありがとうございました。

シアターホリックをお迎えするのは、2018年3月に続き2度目でした。(前回はこちら)できるだけ身軽なスタイルということでひとり芝居、そして初の名古屋公演を計画している旨をG/PITの松井君から聞かされて引き受けた制作、その際感じた手探り感は、コロナ禍の下で進んだ今回倍増したような気がします。

まず、どこに情報を届けていいか分からない。正確には「分からなくなっていた」。カンを失っていたということですね。もちろん馴染みのお客様、声をかければおっとり刀で駆けつけて下さる方の存在もありますが、そこからいかに広げるか、こちらの地方での知名度がない中での苦しさが、こういう「地域間交流」を掲げる場合には常につきまといます。それが名古屋だけなのか、他の地域にもあることなのかは分かりませんが、よそ者には最初冷たくて、慣れるまでに要する一定の時間をどう有効に使うか。これまでもそうでしたが今後も課題だ、と感じます。

その対策では必ずしもありませんが、今回も『「その土地」であることを押し出す』ことはやりました。高知県名古屋事務所の山崎所長をはじめ、県産品セットのご提供に留まらず、ダメもとでお願いした上演時のトークにもご参加いただきけました。もう事務所のある久屋中日ビルのほうを向いては寝られない心境ですし、もう少し状況が落ち着いたら、私自身が高知に遊びに行ってお金を落とすことでお返ししたいと思います。ありがとうございました。

シアターホリックの公演はまだ続きます。

10月22、23日は愛媛県松山市のシアターねこで、そして11月13日のみですが、東京中野のRAFTにて。引き続き「ギフトチケット」の取り扱いもありますので、お近くの方もそうでない方もご注目下さい。 

久しぶりにこんな時間の世界の山ちゃんにて乾杯して、納屋橋バス停前での1枚。たまりまくっていた活動日報、今日はまだ続きます。

「モード・チェンジ」その①

今日(8月31日)もSNSのタイムラインを眺めれば、次から次へと全国各地、様々な劇団の開幕閉幕公演情報、稽古場でのオフショット、ありとあらゆる情報が流れてくる。それらを毎日浴び続けていて失うもの、というのはそんなにないのかもしれないけど、気付きにくくなるものがある、ということに、ふと思い当たったのです。

それがおそらく2,3ヶ月前。
前のエントリで「自分の軸を常に見つめてゆく2022年夏以降でありたい」と書きましたが、つまりよそ見(自分の手元で…これが重要)ばかりしていて、すっかり贅肉がつききってしまったようで。案外、自分の身体と同じことなのかもしれませんが、今の私の人生ややろうとしていること、行きたいと思っている場所、それらを見えにくくしている贅肉とは、自分にとっては一体何だろうか?、と。

ところで、いつでもどこでも、折り合いをつけようとするのが人間です。
妥協と言ったり、合意形成と呼んだりしますが、そういう「折り合い」自体が成り立つ根拠として、最上の選択Aと次善の策のBの双方に明確な意思があり、内発する希望や欲望がそれらの周りを囲んでいるわけです。

「それはほんとうに、自分の内から発せられた希望や欲望か?」

長年携わるうちに、芯と外周の境界が溶けかかっていた。それを昼間の光の下にだして、天日干ししてみようと思いました。そこで出した答えの1つ目が、昨夜(9月1日未明)のTwitterでした。

https://twitter.com/afrowagen/status/1564996987140710400?s=20&t=LRwsz9o8zydrhAizFedh4w

高校放送部の活動の延長線上に何があるのかをあまり考えず、興味のままに演劇へ。本当にそこでは現在に至るまでかけがえのない経験をたくさんさせてもらえた。しかしそれらはどちらかと言えば、舞台に立つ俳優よりも、むしろ公演制作方面の要素によってだった。継続して役者として舞台に立ったのは2009年が最後だし、年々後者の要素の全体に占める率が高まってきたわけです。

朗読に復帰したのは2003年4月に集中を離れてからですから、来春で満20年。役者をベースの1つとして動いた時間(1994-2009)を大きく上回ったな、と改めて思いました。ここだな、モードチェンジは、とストンと選択肢が腑に落ちたのです。モードチェンジといえば、こちら。

45歳の教科書 戦略的「モードチェンジ」のすすめ

役者要素を肩の荷から降ろして。
でもどこかでは誘われたりして、藪から棒に舞台に立つこともあるかもしれない。
でも私の本線は朗読、声。内発するもののより強い方から、さらに深み高みを目指して。俳優を引退というのは、そういう思考の基に出した結論でした。しばらく、これで歩いてみます。

この他にもまだ考えはあるので、おいおいこの欄でも書いてまいります。方向は「捨てる」そして「深める」方へ向かって。

今日までそして明日からー養成講座修了

先月末の予告に反し、いきなり総括を書いてしまいました。個別のメモは後から追加してゆくとして、最初にこれまで、自分の目からときどき見えてきた風景を書き残しておきます。

何回読んでも、何本上げても、それらが誰に届いているか感じられない。リアルでやっても、客は集まらないし、そもそも知られているのかも、そして存在を認識してくれている人が果たしているのかどうか、それも分からない。もとより名古屋では、私の朗読に関心を払ってくれる人は大していないけれど、最近その傾向がとみに強くなっていないか……。

以上、もちろん、ここまで書いたことを常に思っていて鬱々としているというわけではなく、体調が悪かったり睡眠が足りなかったり、これまで何らか心身の状態にアンバランスさを持っている時に比較的出やすい、愚痴というか繰り言みたいなものですが、そういうことを抱く時間が、ここのところ増加傾向にあったのも事実だったのです。それが、先月の「隣の芝は光ってみえる2022」というエントリにもつながったのでしょう。たぶん。

曲がりなりにも続けることで保ってきた自らの「軸」みたいなもの。他との比較を意識するあまり、それがグラグラしていたのも、ここ数ヶ月というところ、つまり今日まで受講してきた日本朗読文化協会の「朗読指導者養成講座」と重なる期間でもあったのでした。

で、ようやく本題、そしていきなりの結論です。
この12回の講義は、弱っていた私の朗読の基礎杭の部分に、新たにセメントを流し込むかの如く、確固とした養分を流し込んでくれました。基礎編としてボイスの山崎広子、日本語の構造の考察で野田尚史の両先生、実践編としてNHK関係から渡辺考さんからはドキュメンタリストとしての対象の見つめ方、吉川精一アナウンサーからは番組の司会経験からのレトリックを、そして中西和久さんからは実際の講談台本を用いた台詞回しと抑揚、緩急を。バラバラに見えてそれぞれ朗読表現の根幹を形作るアプローチの方向、考え方の方角を与えてくださったと感じています。

基礎編の最初、そして表現編の最後の2回は回の名誉会長、加賀美幸子さんの講義でした。振り返れば、第1回と今日(8/27)、言われていることに大した違いはたぶんありません。だけど、聞く私、おそらく他の方もそうだったと思うのですが、聞こえ方が違い、分からなかった意味や意図が少しは分かるようになっている。そんな気がするのです。

写真にもありますが、ちょうど今週会場から見える東京タワーを覆うように建設が進む高層ビル(麻布台プロジェクトというらしいです)が、徐々に鉄塔の高さと肩を並べるように、私たちは少しは学んだし進化した。そう信じたいです。

・指導は精神論でなく具体論で
・教えるのも学ぶのも人間力(良識をもって勤勉であること)
・素材をとことん研究し取材すること
・古典に学び、取材を

最後の講義でも触れられたその4つに加えて、「あなたにとって朗読とは?」と問われた答えを並べるならば、

・知られていない、埋もれている作品を「発掘すること」
・技術の向上と継続した活動でそれらを「伝えていくこと」
・育成とその手法の研鑽を通じ「つないでいくこと」
・自らのアンソロジー(選集)を「編み続けること」

の4つを挙げて発表し、私に与えられた時間の締めくくりとしました。

最後に読んだ辰濃和男の随筆と山之口獏の詩、どちらもこれから手がける重要なテキストになりそうです。講座はこれで終わりましたが、日付が変わり今日からまた始まります。タイトルはそういう意味であり、一見変わらない日々であっても、私自身の朗読を変えてゆく、その小さな変化を積み重ねて行きたいと思います。

もう前エントリみたいに「隣の芝が青い」ことに惑ったり慌てたりせず、自分の軸を常に見つめてゆく2022年夏以降でありたい、と思います。

協会の皆様、講師の皆様、そして受講生としてご一緒した皆様、本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。

隣の芝は光ってみえる2022

ほんと、表題の通り、他人や自分が関わらない公演やプロジェクトの多くが、普段感じる以上に盛り上がり、それが羨ましくみえて仕方がなかった何ヶ月間かを過ごしていた気がします。それはそのまま、SNSの見過ぎであった時間の連続でもあったのだな、とも思います。いや、きっとそうだ。
どこがとはいいませんけれどもね、何とかスラムジャパンとか。
私はこれまで参加したことはありませんが、心情的には応援してきましたし、それは今も変わっていないつもりです。ただ、そこに含まれる多くの要素の中に、私自身がこれまでやってきたことを否定される傾向が見いだされるようになったことが残念でならない、とも感じている者でもあります。

 

何が「お前のやっていることと一緒にするな」だよ、ということです。すべての組織、サークル的なものが持つ宿痾というものから逃れられなかったということなのか。仲のいい方もいないではないので、今までは遠慮していましたが、いつまでも曖昧にしていけない気がするので、踏ん切りをつけてしまうことにしました。

 

そういう風に煽られてしまえば、悲しいことですがこちらもこう応じざるをえない。

 

「あそこで垂れ流されている朗読と呼ばれるものだけが朗読じゃない」と。

 

ということを差し引いても、何してんの?というものも一定含まれている場所を、ばっくりとした見方でしか観れず、語れなくなっていたのは、きっと寒すぎたし、間をおかず暑くなりすぎたからだ、ということのも大きいのだと思います。

徐々にコロナ禍の中から日常の活動を取り戻そうという動きが出てきて、それになかなか追いつく環境が整わない当方と比べて焦りを感じていましたが、ようやくそういう自分もお知らせができます。

約5年ぶりに、東京で朗読します。
昨年の秋から月1回、(特非)日本朗読文化協会(https://rodoku.org/)に会員としてお世話になり、朗読指導者養成講座の末席に加えさせていただきました。まもなく終了する講座の締めくくりのような日程であるのは決して偶然でなく、これまでとこれからの節目になるような大切な時間になるような気がしますし、そう聴く皆さんに感じていただけるような時間をお届けするつもりです。
若き江戸川乱歩が私淑し慕った、愛知県蟹江町出身の医師であり探偵小説家「小酒井不木(こさかい・ふぼく)」。その中でも珍しく笑劇(ファルス)の要素が濃い短編「変な恋」を持って行きます。その他、ご一緒する皆さんそれぞれが、自らのルーツとなる土地にまつわる作品を持ち寄ってお送りする「朗読四都MONOがたり(よんとものがたり)」、ぜひご来場いただければと思います。

 

お待ちしております!

講座の総括をすこしずつまとめながら、今月末のお知らせを当欄でしてゆきます。SNS上だと、書きずらい部分もありますし、いや、別にいつも刺激的なことを書くばかりではないんですよ!

22_【10月9日】ひさびさの東京での朗読です

俯くのではなく足下(2021年末)

2021年が終わります。前回の本「活動日報」から1年以上経ってしまいました
ので唐突な感じはありますが、TwitterとFacebookは更新を続けておりますので、そちらをご覧いただければ幸いです。一部、そちらで残して置いた記録を転載しておきます。

何もしなかったわけではない。だけど何もできなかった、

という感触にとらわれているここ数日です。

中止と配信のみが続きながらも、岐阜・柳ヶ瀬と刈谷での朗読は今年も続けることはできました。柳ヶ瀬は139回、1年を迎えた刈谷も2回の中止はありましたが10回を重ねることができました。久しぶりにとよたミュージックケアの会の皆様とも3年ぶりにご一緒することができました。

そして何より、こんな状況の中ですが(特非)日本朗読文化協会の「朗読指導者養成講座」にも加えていただき、来年夏、8月まで東京で学ぶことのできる機会を得ました。

https://rodoku.org/%e5%8d%94%e4%bc%9a%e8%a8%ad%e7%ab%8b20%e5%91%a8%e5%b9%b4%e8%a8%98%e5%bf%b5%e4%ba%8b%e6%a5%ad%e3%80%8c%e6%9c%97%e8%aa%ad%e6%8c%87%e5%b0%8e%e8%80%85%e9%a4%8a%e6%88%90%e8%ac%9b%e5%ba%a7%e3%80%8d%e5%8f%97/

やっているじゃないか、頑張っているじゃないかと声をかけて下さる方もみえました。それにも関わらず上のように感じるのは、どこか「流された」感じがするのです。誰かに、何かに、どこかに。種類は様々ありましょうが、そう自分が感じたことを大切にしたい。幸い、原因は分かっているので。

隣の芝生を青いとうらやんだり僻んだり
ひるがえって自分は何もできないと落ち込んだり
そんなことに時間と体力を使うより
ひたすら自分の足下を見つめ、掘り下げることに専心したい

そんなことを思っていた年末に、背中を押される2つの言葉に出会いました。
まず、今年「東京の生活史」を上梓された立命館大学の岸政彦先生が紹介されていた、「沖縄学の父」伊波普猷(いは・ふゆう)の言葉です。

「汝の立つところを深く掘れ 其処(そこ)には泉あり」

そしてつい昨夜、元・ヤクルトスワローズの投手で現在はブラジル料理店を経営する片山文男さんが、高校球児であった時に監督にいわれた言葉、

「基本をまずしっかりすること。一瞬のチャンスが絶対に来る。努力をしていれば不思議なことが起きるんですよ。野球があったからこそそれを覚えたんです」

https://full-count.jp/2021/11/30/post1156926/

2つを繰り返し心に刻みつけつつ、年を越そうと思います。
皆様、よいお年をお迎えください。

−2021年の記録−

・『朗読濃尾』(於・岐阜柳ヶ瀬「いしぐれ珈琲」)
その132 1/30 配信のみ
2/27 中止
その133 3/27
4/24 中止
5/29 中止
その134 6/26
その135 7/31
8/28 中止
9/25 中止
その136 10/9
その137 11/13
をの138 12/11

・『ディマ−ジュの庭』(於・刈谷市広小路「ギャルリ・ディマージュ」)
その4 1/29
その5 2/20
その6 3/20
その7 4/17
その8 5/15
その9 6/19
その10 7/24with水野修平氏(pf)
その11 8/14
その12 10/16
その13 11/20
※9月、12月は中止

・とよたミュージックケアの会「おしゃべりコンサート」12月18日
(とよた市民活動センターホール)