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「モード・チェンジ」その①

今日(8月31日)もSNSのタイムラインを眺めれば、次から次へと全国各地、様々な劇団の開幕閉幕公演情報、稽古場でのオフショット、ありとあらゆる情報が流れてくる。それらを毎日浴び続けていて失うもの、というのはそんなにないのかもしれないけど、気付きにくくなるものがある、ということに、ふと思い当たったのです。

それがおそらく2,3ヶ月前。
前のエントリで「自分の軸を常に見つめてゆく2022年夏以降でありたい」と書きましたが、つまりよそ見(自分の手元で…これが重要)ばかりしていて、すっかり贅肉がつききってしまったようで。案外、自分の身体と同じことなのかもしれませんが、今の私の人生ややろうとしていること、行きたいと思っている場所、それらを見えにくくしている贅肉とは、自分にとっては一体何だろうか?、と。

ところで、いつでもどこでも、折り合いをつけようとするのが人間です。
妥協と言ったり、合意形成と呼んだりしますが、そういう「折り合い」自体が成り立つ根拠として、最上の選択Aと次善の策のBの双方に明確な意思があり、内発する希望や欲望がそれらの周りを囲んでいるわけです。

「それはほんとうに、自分の内から発せられた希望や欲望か?」

長年携わるうちに、芯と外周の境界が溶けかかっていた。それを昼間の光の下にだして、天日干ししてみようと思いました。そこで出した答えの1つ目が、昨夜(9月1日未明)のTwitterでした。

高校放送部の活動の延長線上に何があるのかをあまり考えず、興味のままに演劇へ。本当にそこでは現在に至るまでかけがえのない経験をたくさんさせてもらえた。しかしそれらはどちらかと言えば、舞台に立つ俳優よりも、むしろ公演制作方面の要素によってだった。継続して役者として舞台に立ったのは2009年が最後だし、年々後者の要素の全体に占める率が高まってきたわけです。

朗読に復帰したのは2003年4月に集中を離れてからですから、来春で満20年。役者をベースの1つとして動いた時間(1994-2009)を大きく上回ったな、と改めて思いました。ここだな、モードチェンジは、とストンと選択肢が腑に落ちたのです。モードチェンジといえば、こちら。

45歳の教科書 戦略的「モードチェンジ」のすすめ

役者要素を肩の荷から降ろして。
でもどこかでは誘われたりして、藪から棒に舞台に立つこともあるかもしれない。
でも私の本線は朗読、声。内発するもののより強い方から、さらに深み高みを目指して。俳優を引退というのは、そういう思考の基に出した結論でした。しばらく、これで歩いてみます。

この他にもまだ考えはあるので、おいおいこの欄でも書いてまいります。方向は「捨てる」そして「深める」方へ向かって。