朗読

準備と屈伸—「朗読バトルゲーム」終了

週の真ん中の祝日、ようやく落ち着いて振り返ります。
もう先週、2月16日(木)は、「朗読バトルゲーム」の5thシーズン決勝大会に出てきました。まだアーカイブがご覧になれますので、有料ですがよろしければどうぞ。私を含め、6名が出ています。

https://twitcasting.tv/voicevoice0701/shopcart/214609

優勝は佳穂さん、準優勝は土屋佐知子さんでした。おめでとうございました。私は選外でした。主催者から「順位が知りたい場合は個別にお問い合わせを」というアナウンスがありましたが、遠慮しておきました。

前にも記したような気がしますが、行きがかり上参加していた「競技朗読」からはこれで引退です。個別個別の場でいただいた栄誉は栄誉として、これからは新たな作品の「発掘」に力を注いでいきます。

これは昨年受講した「朗読指導者養成講座」で立てた方針の通りです。

とはいえ、誰かと「読むこと」を競うのは芸を磨く上で絶対とは言わずとも、とても重要な過程だと思いますし、初心者の方も意思がおありであればどんどん挑戦されるべきです。自分も高校時代の放送コンテストを皮切りに、青空文庫、跡見、文化協会と何回となく受けたり出たりもし、褒められたり少ないながらも貶されたり、そもそも落ちたり(これは多数)を繰り返し、その度、さまざまな方と現在まで続く得難い関係が結ばれました。

ただそれらはいずれも、他人の評価に自らをさらすという意味の行為であり、それを原動力として自らの読みを進めるという側面が、徐々に強くなってきた気がしました。

そうではなくて、内在する自らの熱をもっと煽って煽って、ちょうど昨夜大須演芸場で「扇橋報告」という、入船亭扇橋+ゲストに春風亭一之輔という豪華な顔付けの会を聴いたのですが、ちょうど「うどん屋」で一之輔師が語るうどん屋が扇で炭火を奮い立たせるような、そのイメージ。自分で自分の機嫌と調子を取っていきたいと思います。

「そこ」で勝とうが負けようが、重要なのは「その後」であり、朗読してる限りは準備と屈伸が続くのですから、と一丁前なことを申し上げておきます。

上のアーカイブで読んだ「どんぐり」、早速自分のツイキャスでも読みました。
下のリンクの2分50秒あたりから22分手前までです。バトルゲームでは15分という制限がありましたのでスピード重視で読み切りましたが、そこから5分延びるとここまで変わるものなのだな、と自分でも驚きました。こちらもどうぞご贔屓に。

https://twitcasting.tv/afrowagen/movie/759623656

さて、次は明後日、25日の柳ヶ瀬です。仕込みは今夜からです!

あたらしい螺旋へ―2022年末

新年あけましておめでとうございます。いま、午前2時を少し過ぎた一宮市の実家の居間でこれを打っています。旧年中は多くの方に大変お世話になりました。今年も何卒よろしくお願い申し上げます。

昨年の今頃、何を書き残していたかしら、と思い読み返してみれば、何のことはない、これから書こうとしていることと大きくは違わなかった点と、この段階があったから今、こういうところに来たのだな、と納得できる点の両方がありました。

9月、役者を引退します、と申し上げました。

それ以来、とても身体が軽くなったような気がします。もちろん、物理的には大して違いはなく、あくまで気の持ちようで、ということですが、普段言葉を使った表現をしている人のくせして、実際に口から出すことの効果を見誤っていました。
この調子でいこうと思います。そして、より深く。

何を?かといえば

・「濃尾」→愛知を、岐阜をより広く、深く。さまざまな作品の発掘を通じて

朗読者としてはまずこれを、ライブの朗読とYoutubeを一層活用して進めます。「岐阜のつたえ話」もちろん、読み手としていろいろなところへ旅をしてみたい。

そして、公演制作の方面では

「交流」→実際の上演だけでなく、多様な形の知識と技術の交流を図る

ここは一応、2015年にワークショップデザイナー(地域教育育成専門員)の資格はいただいていますので、その腕が錆びつかないよう、愛知・名古屋地域に新しい風が吹くような企画を組みます。すでに動き始めているものもあります。そこは特に声と身体、演劇的スキルに関するものを中心とした取扱いになると思います。ご期待ください。

まずはさっそくこの3が日のうちに1本アップします!しますとも!

《2022年の記録》
※柳ケ瀬「朗読濃尾(ノーヴィ)」
その139 1月8日(土曜日)
その140 4月9日(土曜日)
その141 5月14日(土曜日)
その142 6月11日(土曜日)
その143 7月9日(土曜日)配信のみ
その144 9月24日(土曜日)
その145 10月22日(土曜日)
その146 11月23日(祝日)
その147 12月24日(土曜日)

※2,3,8月は中止

※刈谷市広小路「ディマージュの庭」
その15 1月15日(土曜日)
その16 2月19日(土曜日)
その17 3月19日(土曜日)
その18 4月30日(土曜日)
その19 5月21日(土曜日)
その20 6月18日(土曜日)
その21 7月16日(土曜日)
その22 8月20日(土曜日)
その23 9月10日(土曜日)
その24 10月15日(土曜日)
その25 11月12日(土曜日)
その26 12月22日(水曜日)

6月11日~12日 順風男女公演「おてんこうてんおてんてん」
(於・長久手市文化の家光のホール)
9月11日 劇団シアターホリック「夜明け前≒LostGeneration」(於・G/PIT)
10月9日 朗読四都MONOがたり
(於・ホテルウイングインターナショナル渋谷)

「朗読四都MONOがたり」終了

話が持ち上がって9か月、本格的な準備からたぶん半年を経て、昨日「朗読四都MONOがたり」が終わりました。ご来場の皆様、当日運営をお手伝いいただいた皆様、気にかけていただいた皆様、誠にありがとうございました。
遠く離れた場所から集った者たちで1本の朗読会を企画するというのは、もちろん個人的に初めての体験であり、ペース配分や仕事量に戸惑ったことも多くありましたが、何とか大過なく終えられたように思います。
今回の会の「4人が自分で選んだ作品を持ち寄って読む。しかもそれぞれの土地縛り」というコンセプトは、これまで私が3回にわたって企画した「朗読会拓使」に基づいていたことに、終わって改めて気づかされました。「2つの街で、2人の読み手が、1つの作品をそれぞれ連れてきたミュージシャンとともにセッションする」ことと比べて、より地域への視線を強め、それぞれの作品をひとり(単独=モノ=MONO)で語れば、1本筋は通るのではないか、と。
間に前尾津也子さんから提案のあった4人での朗読を挟むこと、そしてオヤビン佐藤さんの蓄音機の演奏により、コントラストが一層明確になりました。そのような意見交換、アイディアのすり合わせの下で進められたのも幸せなことでした。
何に、どこに基礎をおいて朗読をしていくか?
昨年からの指導者養成講座と今回で、もしかしてこれじゃないか、というものが見えたような、そうでないような…。断言は避けますが、少なくとも深める方角については認識できたように思えます。あとはこれをどれだけ繰り返せるか。時間は有効に使っていきたいと思います。
私の分の朗読、小酒井不木の「変な恋」については、準備ができ次第Youtubeにアップしたいと思います。お楽しみになさってください。
前尾さん、今日も普通に司会の現場だった富田欽一さん、ちゃんと札幌に帰ったのか聞いてない(笑)髙橋貴美さん、そして最初から最後まで颯爽としていたオヤビン佐藤さん、本当にありがとうございました!
さて、また明日からは一歩ずつ。
今週土曜日、10月15日はまた「ディマージュの庭」です。

ここからひろがる—「ディマージュの庭」第23回

シアターホリック名古屋公演のあった週は、偶然私のいつもの朗読と重なりました。本来ならば月の第3週に行われる刈谷市のギャラリー「ギャルリ・ディマージュ」での「ディマージュの庭」が、1週繰り上がったためです。そして、その繰り上がりの理由が、個人的にはグッとくるものでありました。

2020年の秋、まだ移転前の、JR刈谷駅近くにあったディマージュで始まったこの企画は、毎回ひとりの詩人を取り上げ、その人となりを私が毎回取材して話したり、たまには作品を読んだりという1時間の内容で、これまで22回繰り返してきました。

そのことを当日報でもなかなか書かなかったのは、ありていに申し上げて、今も現役で活躍されている方、また鬼籍に入った後も著作権保護期間が続いていて、その許諾に一定の時間を要してしまう方の作品群に触れることもあり、そこがクリアされない方の作品を読みます・読みました、と申し上げる訳にはいかなかったという事情でした。なので、これまでSNSで公開したもの以外については今後もお知らせはしないつもりです。何卒ご了承下さい。

そういうディマージュの庭の中でも、ここまで通して行ってきたのは、ギャルリ・ディマージュのオーナー、角谷さんの夫君、清和さんがずっと書いてこられた詩を1本読むということでした。その本数がたまってきたこの秋、清和さんの詩と、陶芸の徳竹秀実さんとの2人展「詩と土の歌」が行われることになったから、このタイミングで読んでくれないか、というお誘いをいただきました。

本当、ささやかなものでしかないかもしれない。でも続けてきて良かったな、と思えました。私の朗読が、私のあずかり知らないところで拡がって伝わる、その最もわかりやすい例が生まれたわけですから。

その一部をご覧に入れます。

「景色が海へと」という詩を読んだあたりです。完全版は編集した上、来週の今ごろにはアップしたいと思います。よろしくお願いいたします。

トップの写真は清和さんと徳竹さんに挟まれた私。お世話になりました。

次回は10月15日です。刈谷市の方、ほかお近くの方、ぜひ1度ディマージュにお越し下さい。お待ちしています。

今日までそして明日からー養成講座修了

先月末の予告に反し、いきなり総括を書いてしまいました。個別のメモは後から追加してゆくとして、最初にこれまで、自分の目からときどき見えてきた風景を書き残しておきます。

何回読んでも、何本上げても、それらが誰に届いているか感じられない。リアルでやっても、客は集まらないし、そもそも知られているのかも、そして存在を認識してくれている人が果たしているのかどうか、それも分からない。もとより名古屋では、私の朗読に関心を払ってくれる人は大していないけれど、最近その傾向がとみに強くなっていないか……。

以上、もちろん、ここまで書いたことを常に思っていて鬱々としているというわけではなく、体調が悪かったり睡眠が足りなかったり、これまで何らか心身の状態にアンバランスさを持っている時に比較的出やすい、愚痴というか繰り言みたいなものですが、そういうことを抱く時間が、ここのところ増加傾向にあったのも事実だったのです。それが、先月の「隣の芝は光ってみえる2022」というエントリにもつながったのでしょう。たぶん。

曲がりなりにも続けることで保ってきた自らの「軸」みたいなもの。他との比較を意識するあまり、それがグラグラしていたのも、ここ数ヶ月というところ、つまり今日まで受講してきた日本朗読文化協会の「朗読指導者養成講座」と重なる期間でもあったのでした。

で、ようやく本題、そしていきなりの結論です。
この12回の講義は、弱っていた私の朗読の基礎杭の部分に、新たにセメントを流し込むかの如く、確固とした養分を流し込んでくれました。基礎編としてボイスの山崎広子、日本語の構造の考察で野田尚史の両先生、実践編としてNHK関係から渡辺考さんからはドキュメンタリストとしての対象の見つめ方、吉川精一アナウンサーからは番組の司会経験からのレトリックを、そして中西和久さんからは実際の講談台本を用いた台詞回しと抑揚、緩急を。バラバラに見えてそれぞれ朗読表現の根幹を形作るアプローチの方向、考え方の方角を与えてくださったと感じています。

基礎編の最初、そして表現編の最後の2回は回の名誉会長、加賀美幸子さんの講義でした。振り返れば、第1回と今日(8/27)、言われていることに大した違いはたぶんありません。だけど、聞く私、おそらく他の方もそうだったと思うのですが、聞こえ方が違い、分からなかった意味や意図が少しは分かるようになっている。そんな気がするのです。

写真にもありますが、ちょうど今週会場から見える東京タワーを覆うように建設が進む高層ビル(麻布台プロジェクトというらしいです)が、徐々に鉄塔の高さと肩を並べるように、私たちは少しは学んだし進化した。そう信じたいです。

・指導は精神論でなく具体論で
・教えるのも学ぶのも人間力(良識をもって勤勉であること)
・素材をとことん研究し取材すること
・古典に学び、取材を

最後の講義でも触れられたその4つに加えて、「あなたにとって朗読とは?」と問われた答えを並べるならば、

・知られていない、埋もれている作品を「発掘すること」
・技術の向上と継続した活動でそれらを「伝えていくこと」
・育成とその手法の研鑽を通じ「つないでいくこと」
・自らのアンソロジー(選集)を「編み続けること」

の4つを挙げて発表し、私に与えられた時間の締めくくりとしました。

最後に読んだ辰濃和男の随筆と山之口獏の詩、どちらもこれから手がける重要なテキストになりそうです。講座はこれで終わりましたが、日付が変わり今日からまた始まります。タイトルはそういう意味であり、一見変わらない日々であっても、私自身の朗読を変えてゆく、その小さな変化を積み重ねて行きたいと思います。

もう前エントリみたいに「隣の芝が青い」ことに惑ったり慌てたりせず、自分の軸を常に見つめてゆく2022年夏以降でありたい、と思います。

協会の皆様、講師の皆様、そして受講生としてご一緒した皆様、本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。

隣の芝は光ってみえる2022

ほんと、表題の通り、他人や自分が関わらない公演やプロジェクトの多くが、普段感じる以上に盛り上がり、それが羨ましくみえて仕方がなかった何ヶ月間かを過ごしていた気がします。それはそのまま、SNSの見過ぎであった時間の連続でもあったのだな、とも思います。いや、きっとそうだ。
どこがとはいいませんけれどもね、何とかスラムジャパンとか。
私はこれまで参加したことはありませんが、心情的には応援してきましたし、それは今も変わっていないつもりです。ただ、そこに含まれる多くの要素の中に、私自身がこれまでやってきたことを否定される傾向が見いだされるようになったことが残念でならない、とも感じている者でもあります。

 

何が「お前のやっていることと一緒にするな」だよ、ということです。すべての組織、サークル的なものが持つ宿痾というものから逃れられなかったということなのか。仲のいい方もいないではないので、今までは遠慮していましたが、いつまでも曖昧にしていけない気がするので、踏ん切りをつけてしまうことにしました。

 

そういう風に煽られてしまえば、悲しいことですがこちらもこう応じざるをえない。

 

「あそこで垂れ流されている朗読と呼ばれるものだけが朗読じゃない」と。

 

ということを差し引いても、何してんの?というものも一定含まれている場所を、ばっくりとした見方でしか観れず、語れなくなっていたのは、きっと寒すぎたし、間をおかず暑くなりすぎたからだ、ということのも大きいのだと思います。

徐々にコロナ禍の中から日常の活動を取り戻そうという動きが出てきて、それになかなか追いつく環境が整わない当方と比べて焦りを感じていましたが、ようやくそういう自分もお知らせができます。

約5年ぶりに、東京で朗読します。
昨年の秋から月1回、(特非)日本朗読文化協会(https://rodoku.org/)に会員としてお世話になり、朗読指導者養成講座の末席に加えさせていただきました。まもなく終了する講座の締めくくりのような日程であるのは決して偶然でなく、これまでとこれからの節目になるような大切な時間になるような気がしますし、そう聴く皆さんに感じていただけるような時間をお届けするつもりです。
若き江戸川乱歩が私淑し慕った、愛知県蟹江町出身の医師であり探偵小説家「小酒井不木(こさかい・ふぼく)」。その中でも珍しく笑劇(ファルス)の要素が濃い短編「変な恋」を持って行きます。その他、ご一緒する皆さんそれぞれが、自らのルーツとなる土地にまつわる作品を持ち寄ってお送りする「朗読四都MONOがたり(よんとものがたり)」、ぜひご来場いただければと思います。

 

お待ちしております!

講座の総括をすこしずつまとめながら、今月末のお知らせを当欄でしてゆきます。SNS上だと、書きずらい部分もありますし、いや、別にいつも刺激的なことを書くばかりではないんですよ!

【順延】久しぶりの、東京での朗読です

俯くのではなく足下(2021年末)

2021年が終わります。前回の本「活動日報」から1年以上経ってしまいました
ので唐突な感じはありますが、TwitterとFacebookは更新を続けておりますので、そちらをご覧いただければ幸いです。一部、そちらで残して置いた記録を転載しておきます。

何もしなかったわけではない。だけど何もできなかった、

という感触にとらわれているここ数日です。

中止と配信のみが続きながらも、岐阜・柳ヶ瀬と刈谷での朗読は今年も続けることはできました。柳ヶ瀬は139回、1年を迎えた刈谷も2回の中止はありましたが10回を重ねることができました。久しぶりにとよたミュージックケアの会の皆様とも3年ぶりにご一緒することができました。

そして何より、こんな状況の中ですが(特非)日本朗読文化協会の「朗読指導者養成講座」にも加えていただき、来年夏、8月まで東京で学ぶことのできる機会を得ました。

https://rodoku.org/%e5%8d%94%e4%bc%9a%e8%a8%ad%e7%ab%8b20%e5%91%a8%e5%b9%b4%e8%a8%98%e5%bf%b5%e4%ba%8b%e6%a5%ad%e3%80%8c%e6%9c%97%e8%aa%ad%e6%8c%87%e5%b0%8e%e8%80%85%e9%a4%8a%e6%88%90%e8%ac%9b%e5%ba%a7%e3%80%8d%e5%8f%97/

やっているじゃないか、頑張っているじゃないかと声をかけて下さる方もみえました。それにも関わらず上のように感じるのは、どこか「流された」感じがするのです。誰かに、何かに、どこかに。種類は様々ありましょうが、そう自分が感じたことを大切にしたい。幸い、原因は分かっているので。

隣の芝生を青いとうらやんだり僻んだり
ひるがえって自分は何もできないと落ち込んだり
そんなことに時間と体力を使うより
ひたすら自分の足下を見つめ、掘り下げることに専心したい

そんなことを思っていた年末に、背中を押される2つの言葉に出会いました。
まず、今年「東京の生活史」を上梓された立命館大学の岸政彦先生が紹介されていた、「沖縄学の父」伊波普猷(いは・ふゆう)の言葉です。

「汝の立つところを深く掘れ 其処(そこ)には泉あり」

そしてつい昨夜、元・ヤクルトスワローズの投手で現在はブラジル料理店を経営する片山文男さんが、高校球児であった時に監督にいわれた言葉、

「基本をまずしっかりすること。一瞬のチャンスが絶対に来る。努力をしていれば不思議なことが起きるんですよ。野球があったからこそそれを覚えたんです」

https://full-count.jp/2021/11/30/post1156926/

2つを繰り返し心に刻みつけつつ、年を越そうと思います。
皆様、よいお年をお迎えください。

−2021年の記録−

・『朗読濃尾』(於・岐阜柳ヶ瀬「いしぐれ珈琲」)
その132 1/30 配信のみ
2/27 中止
その133 3/27
4/24 中止
5/29 中止
その134 6/26
その135 7/31
8/28 中止
9/25 中止
その136 10/9
その137 11/13
をの138 12/11

・『ディマ−ジュの庭』(於・刈谷市広小路「ギャルリ・ディマージュ」)
その4 1/29
その5 2/20
その6 3/20
その7 4/17
その8 5/15
その9 6/19
その10 7/24with水野修平氏(pf)
その11 8/14
その12 10/16
その13 11/20
※9月、12月は中止

・とよたミュージックケアの会「おしゃべりコンサート」12月18日
(とよた市民活動センターホール)

初めての地上から/ギャルリ・ディマージュ(刈谷市)にて

Twitterでお知らせしていた、JR刈谷駅近くのギャラリー「ギャルリ・ディマージュ」での初めての朗読が終わりました。ご来場の皆様、ありがとうございました。
 
月末の、週末の、ということはプレミアムフライデーだ!と思う間もなく、バタバタと準備から本番まで終わってしまったので、お知らせもままならなかったのですが、それでも聴いていただけた方があったのは有り難かったです。
 
今回読んだものを事前にお知らせできなかったのは、ご存命の方である一方で、どこに許諾をお願いしたら良いのか、探しあてることができなかったためという事情もありました。名古屋や一宮にも縁があり、1950年代から旺盛な活動を続けている、詩人「中江俊夫」を取り上げました。もし関係の方がこちらをご覧になっていましたら、事後ではありますがお詫びを申し上げておきたいと思います。
 
「街」
「夜の魚」
「田園」
「街について」
「森へゆく」
「鎮魂歌」
「昔々」
 
会場でも申し上げたのですが、身近な風景から心象に鋭角に斬り込むだけでなく、身辺から宇宙の営みへとこれまた鋭角に駆け上がるイメージの豊かさを、私自身も読みながら楽しんだような心境でした。もともとはオーナーさんからご紹介をいただいた作品群でしたが、出会えてよかったなあ、と思います。
 
そして最後には、詩人つながりで、よく読んでいる中原中也の随筆「散歩生活」と、オーナーの角谷さんのご主人作の詩を一編読ませていただき終演となりました。
 
有り難いことに、来月以降も続くことになりそうです。今度は別の作家を取り上げながら、より多くの方に、とはいえ限定10名様なのは変わらないのは残念ですが、改めてご案内したいと思います。オーナーの角谷さんご夫妻には大変お世話になりました!今後とも宜しくお願い申し上げます!

「朗読会拓使3」終了しました

「朗読会拓使3」神戸・名古屋の全日程を終了しました。本企画の実施に当たりご協力をいただいた、出演者の峯さん、平林さん、天野さん、アジさん、会場ののらまる食堂と大須モノコト、そしてリアルにご来場いただいたり、配信公演をご覧いただいた皆様、誠にありがとうございました。改めて、深く深く御礼申し上げます。

突然ですが、こうなることは分かっていました。
それは2つあり、札幌、福岡、そして神戸と3回が終えられたこと、そして3年を経ても、大して成長しない、なかなかうまく行かない、そういう自分を再確認したことでありました。それだけ内容が充実していた、という言い方もできるかもしれませんが。

楽しんでくださったお客様には申し訳ないのですが……。

「それでも僕は何とか立ち上がろうとする。なぜならそれは朝だからだ」

そんな中島らもが遺した言葉に唐突に触れたくなって、iTunesを開き、回したのはピアノマンRikuoの「パラダイス」。スポークンワーズのように間奏に入っているのです。ライブ盤には。

捻ってcatchして 続けよう
帰る場所はない 旅は終わらない
虹はつかめない ここから始まる新しいパラダイス

ちょっとでもマシなものになるように、きっと今日から動き出すのだと思いました。多分来年も「朗読会拓使」どこかにお邪魔します。

辛くても苦しくても、読むことが生きるよすがである限りは。

なお、名古屋の分も明日または明後日まででアーカイブは公開が終わります。まだの方、ぜひこの機会に。

9/12 18:00 の回(with 天野初菜さん)
https://ssl.twitcasting.tv/afrowagen/shopcart/16573

9/13 18:00 の回(with アジさん)
https://ssl.twitcasting.tv/afrowagen/shopcart/16580

「朗読会拓使3」チケット発売しました

(クリックするとちらしをダウンロードできます!)

おはようございます。本日からお盆休みという方も多いのでしょうが、ご案内のとおりの状況なので、今週末は墓参にも戻らず、家の中でじっとしていることにした私です。

さて、前回のエントリでご説明したとおり、開催の可否を検討してきましたが、愛知県に期間を区切った緊急事態宣言は発せられましたが、今回の上演期間には重なっていないこと、また神戸市を含む兵庫県などにも同様の措置がされていないことから、正式に「朗読会拓使3」を開催することとします。今後、事態の急激な変動が生じた際には改めて検討しますが、とりあえずはよろしくお願いいたします!

と、いうことで本日より、チケットご予約を開始しました。9月第1週末、5日から6日は神戸市、翌週は地元名古屋にて村上春樹「かえるくん、東京をすくう」をとりあげます。お相手は、大阪・神戸を中心に活躍中の劇団「遊気舎」(http://yukisha.holy.jp/)の峯素子さんで、ミュージシャン(奏で手)には、神戸は平林之英さん(sunday)、名古屋は昨年に続いての天野初菜さん(ピアノ)と、昨年の福岡でご一緒したアフリカ太鼓、ジャンベのアジさんにおいでいただくことにしました。以下、詳細は https://www.afrowagen.net/wpr/?page_id=1271 をご覧下さい。チケットのご予約こちらです。

https://ws.formzu.net/fgen/S37382354/

1995年、阪神・淡路大震災の1ヶ月後に東京・新宿を襲う直下型地震を知らされて、「かえるくん」とともにそれを阻もうとする男の話、というとあまりに表面的な説明ですが、原作をお読みになったことがある方は、短い物語の中にある彼らの「揺れ」幅の大きさを思い起こされたりするかもしれません。当初は、「阪神・淡路」から25年、来年は「東日本」から10年ということで考え始めたことでしたが、今となっては物語に取り上げられた「あの頃」と同じく、社会そのものの揺れが大きくなりつつあるからこそ、取り上げる意味がさらに積み重なってきた、そんな風に思えます。

そして、実は再演なのです。2011年、まさに東日本大震災から4ヶ月後に、大学演劇部時代の先輩、福田寛之さんと東京名古屋で初のツアー公演を敢行したのも、この作品でありました。

当時の告知ページです。
http://dp22226223.lolipop.jp/rodoku_sensui5.shtml

勢いだけで乗り切ったあの時とは異なり、お集まりいただいた皆さんの顔ぶれの幅広さとともに、それぞれのステージが全部違うものに見え聞こえる、そんな朗読になると思います。どうぞご期待いただきいただければと思います。

遠方だし会場にも来られないし、という方、今回は「ツイキャス」によるプレミア配信(有料です)もございます。各回で購入ページが異なりますので、会員登録の上、ぜひお申し込み下さいませ。お待ちしております!

(9/6神戸) https://twitcasting.tv/afrowagen/shopcart/16570
(9/12名古屋) https://twitcasting.tv/afrowagen/shopcart/16573
(9/13名古屋) https://twitcasting.tv/afrowagen/shopcart/16580