人生は螺旋-歌志内市にて
2023.2.16→ ふたたび、みたび(2)
ふたたび、というのがコンテストやコンクールへの参加であるならば、みたびというのがこちらです。出場者ではなく、その種の催事の、司会者としてのお手伝いに今年も関わることになりました。
一般社団法人朗読表現研究会が主催する「第五回 U35京都朗読コンテスト」です。https://www.rlabo.jp/krc/index.html
もともと朗読の世界に私が足を踏み入れた高校時代、「夏のNコン、秋の千代田と高文連」のサイクルがありました。現在まで続くNHK杯全国放送コンテストは、7月末に東京で行われる全国大会に向けて、早いところでは新年度もそこそこに地区予選が始まるのは昔から変わらぬ伝統です。愛知県は6月中旬。これも今も同じです。
一方、翌年の夏の全国まで続く高文連はともかく、「秋の千代田」は既に知らない方、初めて存在を知る方も多いと思います。9月から11月にかけて、かつて東京・上野にあった千代田工科芸術専門学校がニッポン放送・産経新聞社と組む形で、全国規模の「高等学校放送コンクール」を行っていました。毎年夏休みには各地区で講習会が行われていて、ニッポン放送=NRN系列ということですが、会場はCBC(中部日本放送)で、天才クイズに出られなかった私が局内に入ったのはこの時が初めてでした。当然ながら、この時にはAMラジオのネット局に複雑な事情が絡んでいることは一切知る由もありません。
そのほか、地元の東海ラジオ放送がつい最近まで開催していた「高等学校ラジオ作品コンクール」も含めて、数多くあった発表の場が徐々に絞られていく中で、朗読する若い世代が目に見えて減り続けて行くことに対して危機感を抱いたことが、この「R35京コン(という名の愛称)」のついた、このコンテストが生まれたきっかけである、と伺いました。
もうほんとに、この京コンの存在を知り、その考え方に触れたとき、私が考えていたこととこんなぴったり重なることがあるのかしらん、という心境でした。そして主催者の代表、佐野真希子さんのことも大して知らない(薄くはつながっていましたが)まま、とりあえず何か手伝わせてください!とDMを送ったのが2024年の春先。その時はまさか司会の役が回ってくるとは露知らずでしたが、なんとかお役を果たすことができているようで、今回の第五回も司会でお手伝いすることになりました。
そのコンテストが、つい昨日(7/25)からエントリー受付を開始しました。高校生部門(16〜18歳)と一般部門(19〜34歳)に分かれております。ぜひ多くの方の挑戦をお待ちしていますし、横でどんな読みに出会えるのか、どんな驚きがあるのかが楽しみでしょうがないのがこの場なのです。
https://x.com/krcU35/status/1940581640121864621
第三回(2024)の本番の様子。隅っこに写っているのが私です
自分が高校生の時には、とにかく褒められたくて、賞がほしくて、全国大会に行きたくてしょうがなかったことを強く覚えていて、その分「読むこと」自体に真摯に向き合ったとは言えない3年間だったように思います。あるいは今、こういう立場にいるのは、その時にやり残した「聴く」ということの尊さを忘れるなよ、と誰かにどこかで言われているのからなのかもしれません。
こちらの本番は10月25日(日)京都市北文化会館にてです。入場無料なので、朗読に大して興味のない方も、私の司会っぷりだけでも観に来てください(笑)。
2023.2.16→ ふたたび、みたび(1)
「前にも記したような気がしますが、行きがかり上参加していた「競技朗読」からはこれで引退です。個別個別の場でいただいた栄誉は栄誉として、これからは新たな作品の「発掘」に力を注いでいきます。」
「他人の評価に自らをさらすという意味の行為であり、それを原動力として自らの読みを進めるという側面が、徐々に強くなってきた気がしました。」
『「そこ」で勝とうが負けようが、重要なのは「その後」であり、朗読してる限りは準備と屈伸が続くのですから、と一丁前なことを申し上げておきます。』
2023年の2月、最後に朗読のコンペティション的なもので出たときに書き残したものです。読み返すと本当に一丁前なことを申し上げていますが、それから離れていた間も、何度かコンテスト・コンクール的なものに出ようかな、と思ったことはあったのです。ただやはり、上記のような思いが先に立って、振り出しに戻る、的な。
しかし、今回「声つむぎ演読コンテスト」にエントリーしたのは、2つの要素が重なったからでした。
https://www.hyouten.com/koetsumugi_2026#toc4
作品の発掘、ということを自分の読みの主眼におくに当たっても障害や壁になるものはどうしてもあって、その1つが作品の隣接権を含む著作権です。今回の主催の三浦綾子記念文学館の実施要項には、本選出場者となった場合の「特典」としてこうありました。
「三浦綾子著作(単著99作品)の朗読および演読の使用許可証(紙)
※許可証の有効期間は 2026 年 8 月 8 日〜 2027 年 8 月末日です
※対面での朗読会等のほか、オンライン配信も可能な使用許可です」
発掘せよ、ここから、と三浦さんから言われているようなものです。このオファーにはなんとしても応えなくてはならない。そう感じたのです。そういうわけで浪曲ロッキューの直前ではありますが、5月以来の北海道に乗り込み、ひとり語りという形態で三浦作品に向き合ってこようと思います。
本番は8月8日(土曜日)。三浦さんが初めて代用教員(今で言うところの臨時的/任期付任用教諭)として勤めた歌志内市での開催です。
「ikki星☆」@内幸町ホール終了
昨夜(10月4日)は、先月に行われた「ikki星☆が挑む 朗読 太宰治の世界」の振り返りZoomでした。公演そのものが終了して、いやそのかなり前からモヤモヤしていたものの正体が、今朝起きる前のベッドの中で「!」という感じで気付いたので、ここに書き残しておきたいと思います。
なお、いろいろハレーションが起きることが予想されるので、SNSには流しませんし、おそらくこの欄を見てらっしゃる方はごく少数である(断言)分、しっかり残しておきます。
これは一部Facebookでも触れましたが、まず他の出演者の皆さんと、スタンスがまるで違うこと、それこそ、よく最後まで喧嘩別れせずにできたなあ、ということを改めて思いました。朗読で何を表現するか、という根本の部分において、良いとか悪いとかではなく違いがある。
自己を、つまり自分自身の感情や感覚を表に出す「表現」なのか、
作品世界や人物・事物そのものの描写に徹し、自己を隠す「表現」なのか
という違いです。
私はこれまで関わってきた演劇の世界でも、その延長線上にもある朗読においても基本的には後者であるべきと考える者です。役者の素を曝け出してはいけない、たとえ姿かっこうは変わらずとも、薄皮1枚、そこにしかない幻を信じなさい、と教えられてきたものでした。
だから朗読に移行する前、ナレーションを学んだ現場で戸谷(美恵子)先生に「あんたは声ばっかり大きくてブレーキがないの!」とよく叱られました。今から思えば、戯曲やセリフが醸す世界に没入して読み手が見えない、自分がどう聞かれているかを意識しなさい、ということだったのだと思います。
ただし、そうは言っても、実際の朗読や舞台はこの2つのうちのどちらかしか存在しないというわけでもなく、常に混在しその比率は時と場合によって変動するものだ、とも考えています。多分その認識は、これまで自分が修めてきた技術的な面が大きいと思いますし、意識的かどうかを問わず、自己の感覚・感情を作品と直結させて馬力を出す、という局面もあるはずで、実際これまでもありました。
多分、私以外の方々は、そのあたりの揺れ動きとはほぼ無縁で、まずはご自分がどう前者の意味で「表現」するかが先に立つ、もっとあけすけに言ってしまえば、作品や作者の世界観をダシにして自己を表出する、と言っても良いかもしれません。そこが、書かれてある小説の言葉との距離感を探り探りしていた稽古での私に、画面越しに苛立たれていた理由だったのかもしれません。
繰り返しになりますが、それが悪いとは言いません。
ただ今後、継続的にご一緒できるかと訊かれれば、うーん、このままならば限度があるかなという感想を、振り返りのZoomでのやりとりを聴きながら抱いていたのだな、と未明のベッドで気付いたのでした。
実際の朗読、ニシムラは狸にしか見えなかった、というご感想と、何言ってるか分からなかったというご感想の両方がありました。当然のことだと思いますし、改めて、テキストを読み込み、掘り下げ、それを声に出すことでどこまで密度を濃く描き出すことができるかに挑まねばならない、と感じた今回の内幸町ホールでした。

以上で報告を終わります。
本日東京「IKKI星☆」の太宰治です
今月2度めの3連休、初日から東京に来ています。当日報欄でもたびたび触れている、NPO日本朗読文化協会が主催した「朗読指導者養成講座」に参加したのが2021年秋から翌年の夏にかけて。そこが「朗読四都MONOがたり」開催のきっかけにもなったのですが、今回もこれはより大人数での企画であり、内幸町ホールという会場の規模も違う、いわば「大ごと」なのですが、ここまでZoomでの打ち合わせのみで進んできたので、なかなか大変でした。
詳細は協会のページにも掲載されていますのでこちらからどうぞ。
しかし昨夜(9月22日)、対面での最初で最後の通し稽古を終えて、少しだけ不安は解消されました。もちろん本番でどんな不測の事態が起こるのか、それはわかりませんが、まー何とかなるでしょ?くらいの気持ちで行ってみたいと思います。
チケットは相当早くに完売となりました。それこそ私がSNSでお知らせをする暇もないくらいで、大変ありがたい話です。首都圏は朗読への関心がやはり高いのだなと実感しているところです。
今度はちゃんと報告いたします。座談会の記事を上げてないことに今気づいたので…。
「朗読座談会」終了ご報告
(一部Facebookと内容が重なる箇所があります)
本日「朗読座談会」@東京・青山
「朗読四都MONOがたり2023」終了
本番終わって、あれやこれや済ませていたら時間がかかってしまい、久しぶりの夜行高速バスで帰名して1日働いて寝て起きて、未明にこれを書き始めました。10日14日〜15日の、シブヤ大学での朗読ワークショップを含めた「朗読四都MONOがたり2023」、つつがなく終えることができました。ご来場の皆様、開催にご支援、ご協力をいただきました皆様、改めて深く御礼申し上げます。ありがとうございました。
各種SNSにも既に書いたり書こうとしていたりしますが、あまり目立たないこちらには、私が今作の制作に携わるに当たって、本当にお世話になった2人のことを記録しておきます。
前回に続き、ちらしのデザインをお願いしました、三重県津市の「橋本デザイン室」の橋本純司さん。出会ってからもう20年近く、宣伝美術をお願いする関係だけでも14,5年の中で、一貫して私の考えていることをビジュアルに落とし込んでいただける貴重な存在です。言葉が過ぎるかもしれませんが、一般的な朗読会のちらしは、会の大小を問わず、「中村仲蔵」の台詞にも出てくる「工夫が足りない」感を帯びたものが大多数です。つまりダサいものしかない。「朗読会拓使」から続く流れの中で、何としてもそれだけはしたくありませんでしたので、今回の反応は幸いなものとなりました。そんな橋本さんは今度、ご自身が戯曲と演出されるユニット「コケムスカヲリ」の上演があります。「中島さんを最近見ない」
http://kokemusukaori.com/stage/nakajimasan/
11月末は三重県伊勢市、12月16日には津市で開催される松原豊さんの写真展の関連企画としての上演、ぜひチェックしてみて下さい。私は伊勢の方に行くと思います。
https://gallery0369.jp/exhibition/2023matsubarayutaka-murakio/
そして、今回の告知記事を書いて下さった、東京新聞(中日新聞東京支社)社会部の小川慎一さんとも、もう10年以上のお付き合いとなりました。もともとTwitterでは繋がっていたところに、岐阜(支社)に赴任されることになり、そのころ通算50回そこそこだった「三十代の潜水生活」を取材していただきました。今回、10月5日付朝刊の都心版に掲載された記事を読みながら、その時のことをまた思い出しました。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/281769
そういえば、東京に転勤で戻られるとき、柳ヶ瀬で最後に飲んだ店は、今年5月に開業10年を迎え、記念のイベント「演劇の日」にお邪魔した神室町商店Heatでした。やはり繋がるんですね、何ごとも。もちろん、それは分かっていたので、朗読の際に身につけたネクタイは、私を岐阜とつないでくれたきっかけとなった方、元・岐阜市文化センター副館長の故・本田秀勝さんの形見分けでいただいたものだということも申し添えておきます。
4者4様の朗読、いい意味でも悪い意味でもバラバラでまとまりがなくて、そもそも私を含め朗読家の特性として自分のことが最初に来る(笑)という関係上、まとめるのに苦労もありましたが、何とか終えることができると、やはりそれが喜びに変わったのは間違いないです。その意味で旅をしていたのは、お聴きいただいた客席の方々とともに、舞台上の私たちもだったかもしれません。
来年は名古屋らしいです。今から準備しないと、と思うとおちおち寝てもいられませんが。
15年目へ。









