新年、明けましておめでとうございます。年が明けて、一旦いろいろ動き出してしまうと、慌ただしさが蘇ってくるのに大して時間はかからないわけでして、ご挨拶をしそびれていました。改めて、2025年も宜しくお願いいたします。
好むと好まざるとにかかわらず、年齢を重ねれば、身体の状態だけでなく、考えていること、感じることも変わってゆくもので。その中で、何を守り、何を手放すか、何を許し、何を許さないかを問われる昨年であったと感じています。
さすがに年喰ったかな、と思わないでもありませんが、そのことに意識が向いてきたのも変化の中に含まれるのでしょうか。きっとそうだと思っていて、そのこともあって、この年末年始は、ひたすら「捨てる」毎日でした。自宅でも、一宮の実家でも、これまで触れてきた主に紙の資料を整理しては縛り、縛っては捨て、おかげでかなり身軽になりました。演劇ほかのちらし、かつて読んだ本、CD、パソコン系のガジェット、思えば手足をいっぱいに広げていろいろなものに触れてきました。紙資料だけで20〜30キロは捨てたのではないかと思います。
年相応に小さくまとまるのではなく、一旦リセットして、照準をより精緻に合わせたい。
その角を曲がって、というフレーズが浮かびます。見た目変わらない動きかもしれませんが、新たな歩みを始めたい。命のかぎり。
年始早々から地元の先輩、演出家の齋藤敏明さんの訃報に接して、その思いは余計に強くなりました。読経のない、不思議なお別れの場にて、以上のようなことを考えていました。
1がゾロ目の休日の朝、ひとりの読み手、ひとりの作り手としてのニシムラを宜しくお願い申し上げます。今年のAfroWagenとしての予定は別のエントリでお知らせします。なんやかんや新しいこともありますので。