閑居しないこと(2024年に)

おめでとうなんて言えなくなってしまった正月でしたね。ニュースを今さら繰り返すことはしませんし、状況は刻一刻と変わりつつあるので。

そんな中でも、被災していない、事故にも巻き込まれてない中でも、やはり考えることは同じようなもので、前半は実家にいたので余計にそんな感じが。そこで結論を得るときにふっ、と浮かんだ言葉が、

「小人閑居して不善を為す」

でした。だいたいの意味として、人間暇にしていると碌なことをしないから気をつけろ、という辺りでしょうが、「閑居」の種類はリアルな人間関係だけではないよな、とコンピューターの画面を覗いていると強く思います。孤独と仲間の間、仲間と社会の間、そして私と社会との間で、どのような距離感と精神で漂うか、その上で表現していきたい。

そんな気持ちを言い当てているような、朔太郎の詩の末尾近いところを抜粋します。

群衆の中に居て(抜粋)萩原朔太郎

…げに都会の生活の自由さは、群集の中に居る自由さである。
群集は一人一人の単位であつて、しかも全体としての
綜合(そうごう)した意志をもつてる。
だれも私の生活に交渉せず、私の自由を束縛しない。
しかも全体の動く意志の中で、私がまた物を考へ、
為(な)し、味(あじわ)ひ、人人と共に楽しんで居る。

心のいたく疲れた人、
思い悩みに苦しむ人、
わけても孤独を寂しむ人、
孤独を愛する人によつて、
群集こそは心の家郷、
愛と慰安の住家である。

ボードレエルと共に、私もまた一つのさびしい歌を唄はう。

都会は私の恋人。
群集は私の家郷。

ああ何処までも、何処までも、都会の空を徘徊(はいかい)しながら、
群集と共に歩いて行かう。浪の彼方(かなた)は地平に消える、
群集の中を流れて行かう。

今年もよろしくお願いいたします。今年の予定は改めて投稿します。

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