2024年2月

「朗読座談会」終了ご報告

(一部Facebookと内容が重なる箇所があります)

参加する前にエントリを残しておいた「朗読座談会」、終わりました。ご参加の皆様、ありがとうございました。有料での配信はこの後2月20日からなので、お申し込みの方でそちらを見られる方には少しネタバレになってしまうかもしれませんが、自分の感想主体で当日の様子をご報告します。
新幹線で上京の途上の間、なんとなく「口火を切るとすれば自分だろうな」と思っていました。パネラーとしての出場者中、男性は私含めて2人、そして多分、年齢も若いほう。ということは…という考えと、同時に、話すとすれば「私(の朗読)はどうあるべきか、どうしたいか。そういう自己規定の話」だと思っていましたので。そして、その意図を感づかれていたのかどうかはわかりませんが、進行側にいらした加賀美幸子さんから最初に指名されてしまい、自分の目論見通りに口火を切ることになったのでした。
そこでまず私が名前を出したのは、徳川夢声でした。
いま私は岐阜・柳ケ瀬で吉川英治作品を読んでいますが、夢声翁の朗読といえばラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)や地元の東海ラジオで放送された「宮本武蔵」であり、20年以上も前にラジオから流れたそれを耳にした時の衝撃をそのまま伝えたつもりです。
あるいは、その感じがその後の進行をスムーズにしたのかもしれません。「上手い朗読って、何?」というタイトルに対して、他の参加者の皆さんも思い思いに話をし始め、「えっマジそれ言っちゃっていいの?個人特定されない?」という話題を出される方(これはさすがに書けない)もいたり、気が付けば盛り上がりの中で150分近くを過ごすことになりました。
後半部分では、2007年に「三十代の潜水生活」という名前で2人の朗読イベントを始めた時に、企画書か当日のパンフレットに残した言葉も思い出したので、それを申し上げたりしました。これは今でも変わらないつもりですが、朗読は自分ひとりが読むものではないし、「わたし読む人/あなた聴く人」という区分けは無意味だと思っています。私が私の音声を用いて申し上げた言葉を耳で聞き取ることで、あなたも「読む人」なんだと思っている、というようなことも付け加えました。
いずれにしても、とても意味のある、得難い経験になったと感じています。さて、これを基に次はどう動くかということが問われます。頑張ります。
写真は終了後の集合写真。そして会場(東京ウイメンズプラザ)の隣が国連大学で、ちょうどマルシェが開かれていたのでタコライスを。

本日「朗読座談会」@東京・青山

23時をかなり回ってから書き始めて、きっと打っているうちに日付が変わるだろうな、と思っていたらその通りになりました。今日はこの後寝て起きて東京に向かいます。
2021〜22年にかけてお世話になった、日本朗読文化協会が主催する「朗読座談会」に、一般の参加者のひとりとして加わることになりました。既に会場観覧も動画配信も申込みを締め切っているので、残念ながらこれからご案内をすることはできないのですが、参加する前に、私自身の思うところを書き残しておこうと思います。
「上手い朗読って、何?」というのが当イベントのパンチラインですが、ひとことで申せば
「そりゃいろいろでしょうよ」
になるかと思います。身も蓋もない話ですが。発声と言葉の調音に重点を置けばアナウンサー、ナレーターと呼ばれる方々が最も得意とするところでしょうし、劇的表現であれば、俳優声優、あるいは伝統的な音声芸術、文楽常磐津清元落語講談浪曲といったあたりを生業とされる先生方が自家薬籠とされるところでしょう。
そのどちらでもない、私はどうあるべきか、どうしたいか。
そういう自己規定のお話だと思うのです。
こう読むのがいい悪い、こんな読み手のここが上手・下手などという狭い了見の話ではなく、これまでの来し方と今後の私の歩もうとする方向をお話しできる機会であれは有り難いと思います。
また終わりましたら報告をいたします。