ソノノチ @sononochi 「つながせのひび」公演終了しました

今年の演劇公演制作のしめくくりとしてお送りしました、京都の劇団「ソノノチ」公演「つながせのひび」が全日程終了いたしました。急に寒くなったお天気の中、ご来場いただきましたお客様、気にしていただいていた皆様、誠にありがとうございました。

今回のSNS上の反応については、以下のURLをご覧ください。

【12月8〜9日】ソノノチ @sononochi 2018「つながせのひび」名古屋・モノコト公演をめぐる素描(デッサン)

3年前に名古屋にお招きした際には、普通の劇場での上演でしたが、今回は普段雑貨店・カフェとして営業している「モノコト」での上演となったため、特にオーナーの森田さんにはいろいろな無理を聞いていただくことになりました。それでも2日間、つつがなく上演を終えることができたのは、スタッフの皆様のご尽力があったからこそです。改めて深く御礼を申し上げます。ありがとうございました!

(上演前の舞台の様子です)

今後のソノノチですが、実はまた来年の比較的早い時期に、名古屋近郊でお目にかけることが出来るかもしれません。これもこの公演が縁になったものともいえます。決まりましたら改めて当サイトでもお知らせしますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

(写真等はあとから追加してまいります。しばらくお待ち下さいませ)※12/9

今日また、ここから(2)キクマサプロジェクト「安土桃山エレファント」

ナビロフトでの千秋楽。1枚の写真。遡ること15年前の春、再び朗読を始める前まで所属していた劇団に彼を引っ張り込んだのは、他ならぬさらに5年前の私でした。他でもない「集中チ(○)療室」のことです。

23歳と25歳の血の気しかない男2人は、寝食を忘れる勢いで芝居とコントを作り続けました。ウソです。できない私は泣き言ばかり言っていました。彼に叱咤され通しでした。2003年の春、クラブ・ダイアモンドホールでの公演後、自分がひとりで活動を続けることを伝えた場で、彼は泣いてました。きっと本人は否定するでしょうけれど、確かに泣いてました。

その男、中村宙矢(ちゅうや)は現在に至るまで、歳相応の抱えるものを抱えながら、ひとりの俳優として名古屋で生き続けてきました。2年前に「青空」(前の(1)のエントリ参照ください)で初めて銀賞を獲れたときもひどく喜んでくれた彼は、「次は金賞しかないだろお前!」と今回も。

今回の結果を伝えた返事に、こんな返事が返ってきました。

「挑戦者の方が面白い!人は1番になると調子にのるからな!」

昨日のキクマサプロジェクト「安土桃山エレファント」で彼が演じた織田信長そのものが吐いた言葉が、そこにはありました。他でもない、私が柳ヶ瀬の「朗読濃尾」で読み続けてきた「新書太閤記」に出てきた信長そのものでもありました。

「人は挑戦している限り負けはしない」

出会って20年目で、まさか奴に泣かされることになるとは、本当に夢にも思いませんでした。

この舞台には、彼だけでなく、お互いにこの15~20年を知っている顔が舞台上に顔を揃えていました。代表の菊正(宗)、こちらも旗揚げ20年を迎える「天然求心力アルファ」の山口純、川崎稚子のご両人、実は就職後初めての舞台で一緒になった葉月充(本人はわすれてそう…)、こりんちゃの佐東えり、そして作・演出の間拓哉、場所や名前は変わっても、必死に歩こうとしている面々で再会して話をすれば、やはり自分だけが逃げ出すわけにはいかないのだ、と、最初に出発した場所にまた、戻ってくるのです。

第11回での金賞を目指して、今日また、ここからスタートです。

今日また、ここから(1)青空文庫朗読コンテスト

一昨日の、大阪市青少年センターで行われました、「第10回 青空文庫朗読コンテスト(主催:一般社団法人日本朗読検定協会)」において、687名の参加者から、本選出場者の30名に入り、本選での朗読の結果、第2位にあたる銀賞をいただくことができました。本日ここまで、本当にたくさんのお祝いの言葉をいただきまして誠にありがとうございました。

これまで、2015年に行われたこのコンテストの第7回で審査員特別賞、翌年の第8回で銀賞、1回お休みを挟んで今回こそはてっぺん(金賞)と思ったのですが、一歩及びませんでした。しかし、今回課題として取り組んだ「海酒」(作/田丸雅智海色の壜」所収)に出会えたことは、まさに朗読者としての財産になりました。これから是非、長いお付き合いをさせていただきたいと思います。田丸さん、この度はお世話になりました。ありがとうございました!

で、新大阪駅で他の参加者の皆様からお祝いをいただき、帰宅して日が変わって日曜日、たまっていた疲れからか起き上がることもできず、午後になってようやく前々からの約束の場所へ行ったわけですが、これは改めて。

終わります。そして、はじめます。(2)

昨日、喫茶モノコトでの2回をもちまして、「朗読会拓使」vol.1はすべての日程を終了いたしました。

共演していただきました石橋玲さんを始め、札幌公演にご出演の福島朋子さん、石橋俊一さん、渡辺義人さん、キクチマコトさん、モノノケユースケさん、名古屋公演の天野初菜さん、そして両会場にご来場いただきました皆様、会場として使わせていただきましたcafe et craft yue ならびに喫茶モノコトの皆様、当日のアンケートやSNS等で広報へのご協力や感想をお寄せいただきました皆様、その他関わってくださったすべての皆様に、改めて深く御礼を申し上げます。

本当に、ありがとうございました。

しかし、いつもながらモノコトのフード&ドリンクメニューは絶品でした。写真はトコナツカレーと3層のシロップが美しいジンジャーエールです。

さて。こういう謝辞に続けて振り返りの文章をつらつらと書き連ねるというのが、世間一般によく見られるパターンなのでしょうが、そういうものではなく、私自身にとってこれからの展開を考えてばかりいるここまでのところです。個人的な振り返りには自分以外にあまり意味がなく、次をどうするか、ということでしかない。そのことを実感しました。

確かに記録は記録として、苦しい局面の自分を励ましてくれることもあるけれど、やはりこれからやってくる未来に何をなすべきか?読み手として何ができるか、どれだけ楽しいことをできるか、そういうことを考えていきたいと強く、強く思っています。次回以降の予定、内容が固まり次第早々にお知らせしたいと思います。

さて、秋はこれから。そして秋は関西の秋になるかも。詳細は次のエントリで書きます!

終わります。そして、はじめます。

日付が変わりました。当日です。9月29、30日に札幌・cafe et craft Yuiで開幕しました「朗読会拓使」vol.1、本日の名古屋・喫茶モノコトでの2回をもって千秋楽となります。

チケットは開演2時間前、午後2時の回は正午まで、午後5時30分の回は午後3時30分までご予約をお待ちしております。→https://ws.formzu.net/fgen/S37382354/

今回、この企画を立ち上げるに当たって、たくさんのことを考えました。そして、足かけ8ヶ月くらい、その時間は続きました。そのほとんどが「距離」にまつわることでした。テキストとの距離、相手との距離、楽器及び音楽そのものとの距離、等々。それらをどう読み取り、どう自らの表現として打ち出すか、それを考えるのはとても楽しい時間でした。

もう1つ、常に頭の中にあった、これは主に特定の個人がいるのですが、これにふれるのは終わった後にしておこうと思います。あくまで、大切なのは今日、これからの時間ですし、その人に言及するにはまだ早すぎると思いますので。

では、寝て起きてからの午後、喫茶モノコトでお目にかかれますことを楽しみにしております。井上ひさしさんの、「父と暮せば」の世界が少しでも、聴くあなたの記憶に残りますように。

写真は兎ゆうさんにお借りました。ありがとうございました。

ニシムラタツヤ拝

「朗読会拓使vol.1」開幕。

 

日付変わって9月30日。札幌の定宿のラウンジでこれを打っています。2018年。個人的にはもっとも重要なプロジェクトとして位置づけてきた「朗読会拓使」が札幌から開幕しました。

札幌での最近の流行に「〆パフェ」というものがあるそうで。飲みや宴会の後に店を変えて、各種のフレーバーのパフェをいただくというもので、今回の会場となった、「cafe et craft yue」もその中の人気店に数えられるところです。

特に週末の夜はすすきのと狸小路商店街のちょうど中間、南3西4という立地もあって、通常営業を優先するという方針もあり、今回は土曜日の昼、日曜日の昼と夜という変則的なスケジュールになっているのです。

もちろん初体験の業態の店内で開催した朗読でしたが、ご来場の皆様にも助けられ、無事に読み切ることができました。もちろん、細かなトラブルはあるにはあったにせよ、それも含めてライヴということにしておきます。

沖縄地方から関東甲信越まで、台風24号の襲来が心配される中で、こう普通に過ごさせていただくのが心苦しい気もするのですが、今の私自身にやれることを、ということを考えつつ、今日もお店でお待ちしております。

ご予約はまだお待ちしております。2時間前までなら前売扱いとさせていただきます。

https://ws.formzu.net/fgen/S37382354/

43歳。

10年前かあ、……何してたかなあ、と画像を漁っていました。上の画像は、2008年6月に行った朗読ライブ「三十代の潜水生活」その2のロゴ。この時のゲストは、もう今では名古屋の演劇シーンでは押しも押されもせぬ存在になられた、「空宙空地」のおぐりまさこ嬢でした。なんかいろいろ読んだ気がします。著作権の問題とか、実はほとんど気にしていなかった気がします。ああ、若いって恐ろしい。まあ、すでにこの時点で大して若くなかったのですが。この写真のように…。

43歳になりました。SNS全盛の時代、特に誕生日ともなりますと、すっかりご無沙汰している皆さまからも毎年、山のようにお祝いされるのが非常に面はゆい思いをするのですが、今年はそれらに対するお返事、もう決まっているのです。

「ありがとうございます。でも言葉だけじゃなく、アクションをください!10月の『朗読会拓使』、是非お越しください!。聴きに来るというお祝いをください!」

はい、わがままです。分かっています。誕生日くらいしかこんなこと言えないので言ってみました。ひとりの俳優が、俳優以外のもろもろもちっとも諦めることができないまま、こんな所まできてしまいました。でもやっと、ようやっと、「読む」という行為、表現することに対して、しっくりくる感触がやってきたような気がするのです。思い違いかもしれません。悪あがきかもしれません。でももう、これ以上逃したくのです。たとえそういうものであっても。

読むこと、奏でること。そして旅をすること。これらをひとつに包みこんで、これから歩いて行こうというのが「朗読会拓使」です。会って、拓く。限りある人生を無駄遣いしたくないのです。淀みない生命を生きたいのです。あれ、さだまさし御大みたいだな。まあいいや。とにかく、そういうことです。

ここまでわがままを許してくれた父母、京都の弟夫婦、職場の皆さま、そして名古屋はじめ各地方の演劇関係の皆さま、全国にちらばる朗読仲間の皆さまに深い感謝を。愛してます。そしてこの1年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

9月末は札幌、10月7日はちくさ正文館の上、喫茶モノコトでお待ち申し上げております。

2018年9月24日 ニシムラタツヤ拝

106回目終了!いよいよ「朗読会拓使」

昨日は「朗読濃尾」(ノーヴィ)通算第106回でありました。すっかり涼しくなった夕方の柳ヶ瀬は、夏の間続いていたイベントも一段落して、いつもの静けさ…を、取り戻していてはいけないんですけれども。

街が、少しずつ動き始めました。ずっといしぐれ珈琲のお隣さんで、朗読するのを見守ってくれていた靴の「TANPOPO」も移転・店じまいして、そこにいよいよ、再開発の工事概要が張り出されました。店番をしていたお母さんは、閉店と同時に退職されたのことで、ご挨拶もできないままでした。店は神田町通りの本店に集約されたとのことです。

同じく今年限りで立ち退くことになるであろう、「オギウエサイクル」の奥様が横を通られたり、名残を惜しむように向かいの「大福屋」のお母さんは相変わらずニコニコ聴いてくださっていますが、そんな中で読む「新書太閤記」は、この先どんな意味を持っていくのかな、と考えてみたり、短い時間のうちにいろいろなことを考えました。

Facebookには短いバージョンを貼りましたので、こちらにはこれを。

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中ほどの5分間です。信長と森蘭丸って、いわゆるBL的な二次創作されやすい題材だった気がしますが、もともとはさっぱりしたもので、だからこそ受け手の想像力をかき立てられる関係性が立ち上がるのでしょうね。

さて、岐阜での次回は10月27日ですので、いよいよ来週は札幌で、再来週は名古屋モノコトで、「朗読会拓使」Vol.1が迫ってきました。普通の演劇と比べると地味ー、と思われそうなところでしょうがそこは井上ひさし作品、モノが違います。読み手がそこにおいて行かれないよう、しっかり務めたいと思います。

最後に、「朗読開拓使」ではなく、「会拓使」としたのは、今回の石橋玲さんを始めとする出演者の方、ミュージシャンの方々と打ち合わせていると改めて感じることですが、何事も「わたし」からしか始まらないけれど、「あなた」とあわなければ続かない。そういう弱さを抱えながら「会って」いくことこそが大切なんだな、と。そしてこれからもそうしていくことの、軽くもなく、重くもない決意表明、という意味合いを込めています。どうぞよろしくお願い申し上げます。

ご予約はこちらから→ https://ws.formzu.net/fgen/S37382354/

以上、たぶん42歳最後の更新でありました。

【見るべし】札幌演劇シーズン2018夏 #ses100 「センチメンタル」

夏休みと「朗読会拓使」の準備を兼ねて札幌に滞在中、その2です。「札幌演劇シーズン」2本目、弦巻楽団の「センチメンタル」。昨夜の初日を拝見しました。今日以降25日まで新さっぽろのサンピアザ劇場で上演中です。

先に上げた「12人の怒れる男」も、同じ日に観た「アピカのお城」も千秋楽前日だったため、おすすめしても役立てて頂けた方はほとんどいなかったのではないか、と思いますが、今回はまだ9ステージ残っています。

札幌近郊の方だけではなく、ぜひ内地(本州のこと)の方も旅行ついでにお越しになるといいのではないかと思います。以下、雑感を。

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現在から未来に向けてではなく、感傷(Sentimental)は過去に向けてどこまでも遡る。遡るというより、いつまでもそこに留まろうとする。他人にとっては取るに足らない悪あがき、ですらないことがほとんどだ。ほとんどだけなのだけれど、人は生きる分過去ばかりが重くなる。そして知らない間に足を取られ、搦め手に抗えなくなる。
教え子とその親の関係が終わり、紆余曲折を経て夫婦となっても、呼び名は変わらない。先生と呼ばれるその人も、先立たれた前妻と、彼女が残した未完の物語を抱え続けている。彼女との思い出の塊たる自宅が灰燼に帰しても。
そして、そんな先生を前にした彼女もそのことを承知している、わけじゃない。心の底では疑っている。でも許している。許さざるを得ない自分がいることも分かっている。でも。
それぞれが、それぞれの記憶を前に、自らの過去と現在、そして未来に逡巡する。そのとば口に立っている子どもたちの背中越しに、それこそが人生であることを見せている。

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決して一筋縄ではない、そのひとの人生を生きることこそ、望むことに臨むことの尊さを丁寧すぎるほど丁寧に描いたのが、弦巻楽団 @tsurugaku の「#31センチメンタル」です。 ニシムラ、本気でお勧めします。

詳しくは#札幌演劇シーズンの公式サイトをご覧下さい。

#ses100

【見るべし】札幌演劇シーズン2018夏 #ses100 「12人の怒れる男」

夏休みと「朗読会拓使」の準備を兼ねて札幌に滞在中です。札幌の夏といえば、というと冬もそうなんですが「札幌演劇シーズン」ということで、観て歩きはじめました。1本目は「12人の怒れる男」いか、連続ツイートを再掲します。千秋楽は本日14時!ぜひ当日券を狙っていただきたいです。

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札幌演劇シーズン2018夏 #ses100 「12人の怒れる男」。2011年の震災直前に名古屋で上演した際、演出助手として稽古場にいた時の情景を思い出しつつ今回も観た。移り変わる時代により受け取り方は変わるだろうが、戯曲はもちろん、演出も俳優陣の演劇も筋の通った素晴らしいものだった。

ルーツはTVドラマとしてだったが、マッカーシーズムが席巻する中で作られた1954年当時のアメリカと、現在の日本が奇妙に、うんざりするほど重なって見えてくるのを上演の進行に追いながら感じていた。陪審員各々から滲む個々の背景と、それに囚われる思考と意見、そして互いへの不寛容。@engekiseason

これまでの上演、私の立ち会った現場でも「差別」をどう扱うかが焦点になった気がする。具体的には移民という出自を明かす11号(水津聡)に対する態度だが、今回の演出が異なり優れていたと感じるのは、そこに更に「冷笑」という要素を乗っけてきたことで、この戯曲が新たな時代性を獲得した気が。

SNS全盛、ちょっと自分のページを開いてたどれば誰かの言動や行動を冷笑する言葉の塊に出会う。すでに稀という言い方はできない程度に。その象徴になっていたのが7号(桜井保一)という書き込みは「ゲキカン」のページ s-e-season.com/gekikan/ でも見た気がするが、自分は違うことを考えた。

真の冷笑は、普段はその表情や態度を見せずに場の空気を推し量るものから最も激しくなされる。その意味で8号(久保隆徳)は勿論、理知的な議事に努める1号(能登英輔)、4号(河野真也)を常に遠い位置から、少年の命や陪審制度自体と共にあざ笑っていたのは10号(小林エレキ)ではないか。

そして、7号の喧しさに隠れて、10号は自ら語らず、自らの思う方向に持って行こうとした。それを9号(山田マサル)に対する侮蔑という形で漏らしたことで6号(齋藤歩)に目ざとく見咎められる瞬間もあるのだが、これはぜひ本番で確認していただきたい。ご覧になっていない方は。

一方で錯綜する議事と意見の応酬に自らを見失い続けるやりとりがより明示的だったのも、今回の特色だと思った。2号(明逸人)と12号(江田由紀浩)の意見の変遷はいつも振り子のようだが、その弱さというのが、現在の私たちの社会が抱える、少数意見へのバッシングと表裏をなすのでは?と感じた。

最後。そういう時代に見た #12人の怒れる男 においても、戯曲の背骨となっている3号、平塚さんと5号(倖田直機)の対峙が、会えずにいる3号の息子にも見えたのは、やはり戯曲、演出、そしてプロデュースワークの勝利だっとのだろうな、ということで。本日千秋楽。あと1回ですよ。当日で!

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