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縁(えにし)>距離② 短距離男道ミサイル「晩年」終了

東日本大震災の発災から8年と、まもなく2週間になろうとしています。歳月を重ねるごとに記録は明確に、記憶はおぼろげになってゆくものだ、とは言えど、福島第一原子力発電所は相変わらずああだし、仮設住宅にお住まいの方がまだ2千8百人以上もみえる(参考:岩手日報の特設サイト https://www.iwate-np.co.jp/page/higashinihon2019 )ということに、政府の無為無策を長々と嘆じたくなるのですが、今夜は少し違うことを、ごく個人的な経験として書きます。先日終了した、ある共催公演のことについて。

発災から2ヶ月も経たない2011年4月末、当時発足したばかりのC.T.T.仙台事務局が主催して「特別支演会」が開催されました。上演に至るまでの過程を観客に公開し、意見交換を通じて作品の研鑽に資する場を提供する、というのが現在に至るまで続くC.T.T.のキー・コンセプトであり、その実質的初回の開催を4月に予定していた彼らにとって、発災を機にそれを復興のきっかけとして活用したい、という気持ちは痛いほど分かりましたし、実際2日間だけでも上演のために仙台に飛んでそれがなんのウソもないことは分かりました。しかしそれ以上に、この時に、今回のタイトルにもなっている「彼ら」と出会ったこと、その衝撃がありました。

「C.T.T.特別支演会」における短距離男道ミサイル「CAN魂」(劇団サイトより)

「短距離男道ミサイル」

いまでこそ慣れたこの劇団名、そして発災以降、何かにつけて「不謹慎」と叫びながら小さくまとまっていこうとする世の中のもろもろの中において、「なんて何も考えてなく、頭が悪そうでいて、そのくせ明るく突き抜けた陽気なネーミングなんだ……!」という驚きと、喜びとワクワクとがない交ぜになった不思議な気持ちなったことを覚えています。ただその際上演された旗揚げ公演の内容といえば、別にどうと言うこともない、いやむしろしょうもないことを全力でやってテンションで誤魔化す、若者たちのよくある一面、みたいな30分でした。だってあなた、「あいうえお作文」を大声で走り回りながらやって、最後に柔道着(空手着?)を着たやつが全員を蹴倒すというやつだったんですから。そ、まさに「道化」のそれでした。

「晩年」開演前の本田椋氏による前説の一場面

それから8年。その時柔道着を着て仲間達を蹴倒していた男、澤野正樹は、若手演出家コンクールで最優秀賞を獲り、彼が描く、東北という土地が帯びる身体性に正面から向かい合うために極限まで着衣を排した演出と、射程に収める東北にまつわる作品、そして世界の戯曲たちを大胆に動かす俳優たちが生きる、実に魅力的なカンパニーに育ちました。その強さの源は、口幅ったい言い方ですがあの震災であったでしょうし、あの極限の時間の中で、創り手として自らの生きるよすがを見つめざるを得なかったからこそ生まれた作品たち、そして集団で会ったということができると思います。まさに渋革まろんさんのnoteがタイトルとしているような「疾走」を、生々しすぎる現実に立ち向かうために続けてきたのが、ミサイルの8年間であったと思うのです。

道化の疾走――震災以後の演劇について/短距離男道ミサイル『母さん、たぶん俺ら、人間失格だわ』|渋革まろん @z_z__z|note(ノート) https://note.mu/marronbooks/n/nbd63f125123a

上演をご覧になったお客様はご存じであるとは思いますが、今回、澤野君が一旦、ミサイルでの活動をお休みするということを表明した物語は、おおむね事実であるという風に私は聞いています。カンパニーとしては打撃となるでしょうし、本拠地の仙台の演劇シーンのは衝撃が走ったといいます。当然だと思います。さらに名古屋から離れた岩手県・西和賀町の銀河ホールの方が書いているように、「日本一の若手演出家とその家族も食わせられない仙台、もうちょい考えろ」という言い方もできるでしょう。

公演終了後にゲストのおにぎりばくばく丸氏、G/pitの松井真人氏と。左奥が私。

でも私には、この「日常を取り戻す」時間が、遅かれ早かれ彼には必要になったのではないか、と今は感じています。むしろ、ハードランディングして彼自身の心身やご家庭が傷を負う前に立ち止まることができて良かったのではないか、と。今回の名古屋公演の共催・制作支援も広い意味での復興支援だろう、と思いつつ私はやってきたつもりですが、今後はそれも変わっていくのかもしれません。急性期から回復期へ。彼と彼らが日常を取り戻し、その維持を支えるためには、私自身の日常を失わないようにすること、つまり「できることをする」ことを基本に、今後も劇団短距離男道ミサイルを応援していくつもりです。まあ、終わった後に久しぶりに風邪でぶっ倒れたのでこんなことを書いているのですが(笑)

なお、公演終了後も続々寄せられた感想を以下のリンクにまとめました。興味を持たれたら是非ご覧下さい。

https://togetter.com/li/1324601

【見るべし】札幌演劇シーズン2018夏 #ses100 「12人の怒れる男」

夏休みと「朗読会拓使」の準備を兼ねて札幌に滞在中です。札幌の夏といえば、というと冬もそうなんですが「札幌演劇シーズン」ということで、観て歩きはじめました。1本目は「12人の怒れる男」いか、連続ツイートを再掲します。千秋楽は本日14時!ぜひ当日券を狙っていただきたいです。

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札幌演劇シーズン2018夏 #ses100 「12人の怒れる男」。2011年の震災直前に名古屋で上演した際、演出助手として稽古場にいた時の情景を思い出しつつ今回も観た。移り変わる時代により受け取り方は変わるだろうが、戯曲はもちろん、演出も俳優陣の演劇も筋の通った素晴らしいものだった。

ルーツはTVドラマとしてだったが、マッカーシーズムが席巻する中で作られた1954年当時のアメリカと、現在の日本が奇妙に、うんざりするほど重なって見えてくるのを上演の進行に追いながら感じていた。陪審員各々から滲む個々の背景と、それに囚われる思考と意見、そして互いへの不寛容。@engekiseason

これまでの上演、私の立ち会った現場でも「差別」をどう扱うかが焦点になった気がする。具体的には移民という出自を明かす11号(水津聡)に対する態度だが、今回の演出が異なり優れていたと感じるのは、そこに更に「冷笑」という要素を乗っけてきたことで、この戯曲が新たな時代性を獲得した気が。

SNS全盛、ちょっと自分のページを開いてたどれば誰かの言動や行動を冷笑する言葉の塊に出会う。すでに稀という言い方はできない程度に。その象徴になっていたのが7号(桜井保一)という書き込みは「ゲキカン」のページ s-e-season.com/gekikan/ でも見た気がするが、自分は違うことを考えた。

真の冷笑は、普段はその表情や態度を見せずに場の空気を推し量るものから最も激しくなされる。その意味で8号(久保隆徳)は勿論、理知的な議事に努める1号(能登英輔)、4号(河野真也)を常に遠い位置から、少年の命や陪審制度自体と共にあざ笑っていたのは10号(小林エレキ)ではないか。

そして、7号の喧しさに隠れて、10号は自ら語らず、自らの思う方向に持って行こうとした。それを9号(山田マサル)に対する侮蔑という形で漏らしたことで6号(齋藤歩)に目ざとく見咎められる瞬間もあるのだが、これはぜひ本番で確認していただきたい。ご覧になっていない方は。

一方で錯綜する議事と意見の応酬に自らを見失い続けるやりとりがより明示的だったのも、今回の特色だと思った。2号(明逸人)と12号(江田由紀浩)の意見の変遷はいつも振り子のようだが、その弱さというのが、現在の私たちの社会が抱える、少数意見へのバッシングと表裏をなすのでは?と感じた。

最後。そういう時代に見た #12人の怒れる男 においても、戯曲の背骨となっている3号、平塚さんと5号(倖田直機)の対峙が、会えずにいる3号の息子にも見えたのは、やはり戯曲、演出、そしてプロデュースワークの勝利だっとのだろうな、ということで。本日千秋楽。あと1回ですよ。当日で!

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「朗読実験学校JAM24(ジャムニシ)」始まりました!

昨夜は、仕切り直しの「JAM24(ジャムニシ)」こと、朗読実験学校の第1回目でした。急な告知にもかかわらず、私を含めて4名のご参加をいただきました。そして、かつて岐阜で読んだこともあった、山本周五郎「寝ぼけ署長」から「中央銀行三十万円紛失事件」を2時間弱でじっくり読んでみました。

やはり、ひとりで誰かの声を想いつつ読むことと、もとより違う誰かと読むことは明らかな違いがあって、受けるインスピレーションの量が段違いに多くなることなんだ、ということを再認識しました。

朗読劇で共演するということともに似ているのでは?と言われる方もいらっしゃるかもしれませんが、はっきりと説明するのは現状では難しいにしても、ぼんやりと答えのようなものはイメージしているので、徐々にそれを具体的な言葉に落とし込んでいこうと考えています。

次回は2月14日です。また19時からです。お申し込みをお待ちしています。