終わります。そして、はじめます。(2)

昨日、喫茶モノコトでの2回をもちまして、「朗読会拓使」vol.1はすべての日程を終了いたしました。

共演していただきました石橋玲さんを始め、札幌公演にご出演の福島朋子さん、石橋俊一さん、渡辺義人さん、キクチマコトさん、モノノケユースケさん、名古屋公演の天野初菜さん、そして両会場にご来場いただきました皆様、会場として使わせていただきましたcafe et craft yue ならびに喫茶モノコトの皆様、当日のアンケートやSNS等で広報へのご協力や感想をお寄せいただきました皆様、その他関わってくださったすべての皆様に、改めて深く御礼を申し上げます。

本当に、ありがとうございました。

しかし、いつもながらモノコトのフード&ドリンクメニューは絶品でした。写真はトコナツカレーと3層のシロップが美しいジンジャーエールです。

さて。こういう謝辞に続けて振り返りの文章をつらつらと書き連ねるというのが、世間一般によく見られるパターンなのでしょうが、そういうものではなく、私自身にとってこれからの展開を考えてばかりいるここまでのところです。個人的な振り返りには自分以外にあまり意味がなく、次をどうするか、ということでしかない。そのことを実感しました。

確かに記録は記録として、苦しい局面の自分を励ましてくれることもあるけれど、やはりこれからやってくる未来に何をなすべきか?読み手として何ができるか、どれだけ楽しいことをできるか、そういうことを考えていきたいと強く、強く思っています。次回以降の予定、内容が固まり次第早々にお知らせしたいと思います。

さて、秋はこれから。そして秋は関西の秋になるかも。詳細は次のエントリで書きます!

終わります。そして、はじめます。

日付が変わりました。当日です。9月29、30日に札幌・cafe et craft Yuiで開幕しました「朗読会拓使」vol.1、本日の名古屋・喫茶モノコトでの2回をもって千秋楽となります。

チケットは開演2時間前、午後2時の回は正午まで、午後5時30分の回は午後3時30分までご予約をお待ちしております。→https://ws.formzu.net/fgen/S37382354/

今回、この企画を立ち上げるに当たって、たくさんのことを考えました。そして、足かけ8ヶ月くらい、その時間は続きました。そのほとんどが「距離」にまつわることでした。テキストとの距離、相手との距離、楽器及び音楽そのものとの距離、等々。それらをどう読み取り、どう自らの表現として打ち出すか、それを考えるのはとても楽しい時間でした。

もう1つ、常に頭の中にあった、これは主に特定の個人がいるのですが、これにふれるのは終わった後にしておこうと思います。あくまで、大切なのは今日、これからの時間ですし、その人に言及するにはまだ早すぎると思いますので。

では、寝て起きてからの午後、喫茶モノコトでお目にかかれますことを楽しみにしております。井上ひさしさんの、「父と暮せば」の世界が少しでも、聴くあなたの記憶に残りますように。

写真は兎ゆうさんにお借りました。ありがとうございました。

ニシムラタツヤ拝

「朗読会拓使vol.1」開幕。

 

日付変わって9月30日。札幌の定宿のラウンジでこれを打っています。2018年。個人的にはもっとも重要なプロジェクトとして位置づけてきた「朗読会拓使」が札幌から開幕しました。

札幌での最近の流行に「〆パフェ」というものがあるそうで。飲みや宴会の後に店を変えて、各種のフレーバーのパフェをいただくというもので、今回の会場となった、「cafe et craft yue」もその中の人気店に数えられるところです。

特に週末の夜はすすきのと狸小路商店街のちょうど中間、南3西4という立地もあって、通常営業を優先するという方針もあり、今回は土曜日の昼、日曜日の昼と夜という変則的なスケジュールになっているのです。

もちろん初体験の業態の店内で開催した朗読でしたが、ご来場の皆様にも助けられ、無事に読み切ることができました。もちろん、細かなトラブルはあるにはあったにせよ、それも含めてライヴということにしておきます。

沖縄地方から関東甲信越まで、台風24号の襲来が心配される中で、こう普通に過ごさせていただくのが心苦しい気もするのですが、今の私自身にやれることを、ということを考えつつ、今日もお店でお待ちしております。

ご予約はまだお待ちしております。2時間前までなら前売扱いとさせていただきます。

https://ws.formzu.net/fgen/S37382354/

43歳。

10年前かあ、……何してたかなあ、と画像を漁っていました。上の画像は、2008年6月に行った朗読ライブ「三十代の潜水生活」その2のロゴ。この時のゲストは、もう今では名古屋の演劇シーンでは押しも押されもせぬ存在になられた、「空宙空地」のおぐりまさこ嬢でした。なんかいろいろ読んだ気がします。著作権の問題とか、実はほとんど気にしていなかった気がします。ああ、若いって恐ろしい。まあ、すでにこの時点で大して若くなかったのですが。この写真のように…。

43歳になりました。SNS全盛の時代、特に誕生日ともなりますと、すっかりご無沙汰している皆さまからも毎年、山のようにお祝いされるのが非常に面はゆい思いをするのですが、今年はそれらに対するお返事、もう決まっているのです。

「ありがとうございます。でも言葉だけじゃなく、アクションをください!10月の『朗読会拓使』、是非お越しください!。聴きに来るというお祝いをください!」

はい、わがままです。分かっています。誕生日くらいしかこんなこと言えないので言ってみました。ひとりの俳優が、俳優以外のもろもろもちっとも諦めることができないまま、こんな所まできてしまいました。でもやっと、ようやっと、「読む」という行為、表現することに対して、しっくりくる感触がやってきたような気がするのです。思い違いかもしれません。悪あがきかもしれません。でももう、これ以上逃したくのです。たとえそういうものであっても。

読むこと、奏でること。そして旅をすること。これらをひとつに包みこんで、これから歩いて行こうというのが「朗読会拓使」です。会って、拓く。限りある人生を無駄遣いしたくないのです。淀みない生命を生きたいのです。あれ、さだまさし御大みたいだな。まあいいや。とにかく、そういうことです。

ここまでわがままを許してくれた父母、京都の弟夫婦、職場の皆さま、そして名古屋はじめ各地方の演劇関係の皆さま、全国にちらばる朗読仲間の皆さまに深い感謝を。愛してます。そしてこの1年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

9月末は札幌、10月7日はちくさ正文館の上、喫茶モノコトでお待ち申し上げております。

2018年9月24日 ニシムラタツヤ拝

106回目終了!いよいよ「朗読会拓使」

昨日は「朗読濃尾」(ノーヴィ)通算第106回でありました。すっかり涼しくなった夕方の柳ヶ瀬は、夏の間続いていたイベントも一段落して、いつもの静けさ…を、取り戻していてはいけないんですけれども。

街が、少しずつ動き始めました。ずっといしぐれ珈琲のお隣さんで、朗読するのを見守ってくれていた靴の「TANPOPO」も移転・店じまいして、そこにいよいよ、再開発の工事概要が張り出されました。店番をしていたお母さんは、閉店と同時に退職されたのことで、ご挨拶もできないままでした。店は神田町通りの本店に集約されたとのことです。

同じく今年限りで立ち退くことになるであろう、「オギウエサイクル」の奥様が横を通られたり、名残を惜しむように向かいの「大福屋」のお母さんは相変わらずニコニコ聴いてくださっていますが、そんな中で読む「新書太閤記」は、この先どんな意味を持っていくのかな、と考えてみたり、短い時間のうちにいろいろなことを考えました。

Facebookには短いバージョンを貼りましたので、こちらにはこれを。

<iframe width=”560″ height=”315″ src=”https://www.youtube.com/embed/AH2g7wJJx1Q” frameborder=”0″ allow=”autoplay; encrypted-media” allowfullscreen></iframe>

中ほどの5分間です。信長と森蘭丸って、いわゆるBL的な二次創作されやすい題材だった気がしますが、もともとはさっぱりしたもので、だからこそ受け手の想像力をかき立てられる関係性が立ち上がるのでしょうね。

さて、岐阜での次回は10月27日ですので、いよいよ来週は札幌で、再来週は名古屋モノコトで、「朗読会拓使」Vol.1が迫ってきました。普通の演劇と比べると地味ー、と思われそうなところでしょうがそこは井上ひさし作品、モノが違います。読み手がそこにおいて行かれないよう、しっかり務めたいと思います。

最後に、「朗読開拓使」ではなく、「会拓使」としたのは、今回の石橋玲さんを始めとする出演者の方、ミュージシャンの方々と打ち合わせていると改めて感じることですが、何事も「わたし」からしか始まらないけれど、「あなた」とあわなければ続かない。そういう弱さを抱えながら「会って」いくことこそが大切なんだな、と。そしてこれからもそうしていくことの、軽くもなく、重くもない決意表明、という意味合いを込めています。どうぞよろしくお願い申し上げます。

ご予約はこちらから→ https://ws.formzu.net/fgen/S37382354/

以上、たぶん42歳最後の更新でありました。

【見るべし】札幌演劇シーズン2018夏 #ses100 「センチメンタル」

夏休みと「朗読会拓使」の準備を兼ねて札幌に滞在中、その2です。「札幌演劇シーズン」2本目、弦巻楽団の「センチメンタル」。昨夜の初日を拝見しました。今日以降25日まで新さっぽろのサンピアザ劇場で上演中です。

先に上げた「12人の怒れる男」も、同じ日に観た「アピカのお城」も千秋楽前日だったため、おすすめしても役立てて頂けた方はほとんどいなかったのではないか、と思いますが、今回はまだ9ステージ残っています。

札幌近郊の方だけではなく、ぜひ内地(本州のこと)の方も旅行ついでにお越しになるといいのではないかと思います。以下、雑感を。

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現在から未来に向けてではなく、感傷(Sentimental)は過去に向けてどこまでも遡る。遡るというより、いつまでもそこに留まろうとする。他人にとっては取るに足らない悪あがき、ですらないことがほとんどだ。ほとんどだけなのだけれど、人は生きる分過去ばかりが重くなる。そして知らない間に足を取られ、搦め手に抗えなくなる。
教え子とその親の関係が終わり、紆余曲折を経て夫婦となっても、呼び名は変わらない。先生と呼ばれるその人も、先立たれた前妻と、彼女が残した未完の物語を抱え続けている。彼女との思い出の塊たる自宅が灰燼に帰しても。
そして、そんな先生を前にした彼女もそのことを承知している、わけじゃない。心の底では疑っている。でも許している。許さざるを得ない自分がいることも分かっている。でも。
それぞれが、それぞれの記憶を前に、自らの過去と現在、そして未来に逡巡する。そのとば口に立っている子どもたちの背中越しに、それこそが人生であることを見せている。

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決して一筋縄ではない、そのひとの人生を生きることこそ、望むことに臨むことの尊さを丁寧すぎるほど丁寧に描いたのが、弦巻楽団 @tsurugaku の「#31センチメンタル」です。 ニシムラ、本気でお勧めします。

詳しくは#札幌演劇シーズンの公式サイトをご覧下さい。

#ses100

【見るべし】札幌演劇シーズン2018夏 #ses100 「12人の怒れる男」

夏休みと「朗読会拓使」の準備を兼ねて札幌に滞在中です。札幌の夏といえば、というと冬もそうなんですが「札幌演劇シーズン」ということで、観て歩きはじめました。1本目は「12人の怒れる男」いか、連続ツイートを再掲します。千秋楽は本日14時!ぜひ当日券を狙っていただきたいです。

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札幌演劇シーズン2018夏 #ses100 「12人の怒れる男」。2011年の震災直前に名古屋で上演した際、演出助手として稽古場にいた時の情景を思い出しつつ今回も観た。移り変わる時代により受け取り方は変わるだろうが、戯曲はもちろん、演出も俳優陣の演劇も筋の通った素晴らしいものだった。

ルーツはTVドラマとしてだったが、マッカーシーズムが席巻する中で作られた1954年当時のアメリカと、現在の日本が奇妙に、うんざりするほど重なって見えてくるのを上演の進行に追いながら感じていた。陪審員各々から滲む個々の背景と、それに囚われる思考と意見、そして互いへの不寛容。@engekiseason

これまでの上演、私の立ち会った現場でも「差別」をどう扱うかが焦点になった気がする。具体的には移民という出自を明かす11号(水津聡)に対する態度だが、今回の演出が異なり優れていたと感じるのは、そこに更に「冷笑」という要素を乗っけてきたことで、この戯曲が新たな時代性を獲得した気が。

SNS全盛、ちょっと自分のページを開いてたどれば誰かの言動や行動を冷笑する言葉の塊に出会う。すでに稀という言い方はできない程度に。その象徴になっていたのが7号(桜井保一)という書き込みは「ゲキカン」のページ s-e-season.com/gekikan/ でも見た気がするが、自分は違うことを考えた。

真の冷笑は、普段はその表情や態度を見せずに場の空気を推し量るものから最も激しくなされる。その意味で8号(久保隆徳)は勿論、理知的な議事に努める1号(能登英輔)、4号(河野真也)を常に遠い位置から、少年の命や陪審制度自体と共にあざ笑っていたのは10号(小林エレキ)ではないか。

そして、7号の喧しさに隠れて、10号は自ら語らず、自らの思う方向に持って行こうとした。それを9号(山田マサル)に対する侮蔑という形で漏らしたことで6号(齋藤歩)に目ざとく見咎められる瞬間もあるのだが、これはぜひ本番で確認していただきたい。ご覧になっていない方は。

一方で錯綜する議事と意見の応酬に自らを見失い続けるやりとりがより明示的だったのも、今回の特色だと思った。2号(明逸人)と12号(江田由紀浩)の意見の変遷はいつも振り子のようだが、その弱さというのが、現在の私たちの社会が抱える、少数意見へのバッシングと表裏をなすのでは?と感じた。

最後。そういう時代に見た #12人の怒れる男 においても、戯曲の背骨となっている3号、平塚さんと5号(倖田直機)の対峙が、会えずにいる3号の息子にも見えたのは、やはり戯曲、演出、そしてプロデュースワークの勝利だっとのだろうな、ということで。本日千秋楽。あと1回ですよ。当日で!

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次回は怪談!8月25日の「朗読濃尾」

当初から、7月28日(土)という日付は、長良川全国選抜花火大会とかぶっていまして、例年なかなかお越しいただける方が少ないということを前回のエントリで書かせていただきました。しかし、日程をその後検討しても、やっぱりカブる形でしかやれなさそうでしたので、ここは普段と角度を変えて、夏の終わりのひとり怪談大会、とまいりたいと思います。8月25日(土)に「朗読濃尾」第105回目を開催いたします。

読むのは、田中貢太郎「赤い土の壺」です。https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/52248_47288.html

普段は「新書太閤記」という、織田側から編まれた歴史を元にした作品を読んでいますが、今回のこの作品は、まったく信長も秀吉も出てきません。斎藤道三から始まった稲葉山斎藤家三代の仲違いから生じた諍いに材をとった作品です。

是非事前に読んでいただいて、その上でどんな風に聞こえるのかということを実際に体験していただけますと、1本で2倍おいしいというグリコみたいな話になることうけあいです。是非いしぐれ珈琲へのご来場をお待ち申し上げております。

なお、トップの写真に意味はありません。ただやってみたかっただけです。後悔はしていません(笑)

明日の「朗読濃尾」は中止・延期します

今夜から明日にかけて、台風12号の東海地方への接近が心配されているようです。Yahoo!天気でも、岐阜県は「雨や雷雨で大荒れの天気となり」との予報がされています。

https://weather.yahoo.co.jp/weather/jp/21/

また、ちょうど裏で(お前の方が裏だろと言われること必至ですが)開催予定でした、「全国選抜長良川中日花火大会」も、8月25日に延期となったそうです。

http://www.chunichi.co.jp/chuhana/

というわけで、毎度この時期ばかりはお客様の足も遠のいてしまう回でもある上にこの天気となることですし、今回はこちらも中止とし、また改めて開催の日程を決めたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

写真の木曽川(笠松付近)も、どうか氾濫などが起こりませんように…。

劇場は人ー本田秀徳さんを送るー

葬儀というものに参列したことはもう両手でも余るようになってしまいましたが、まさか自分が誰かの「偲ぶ会」の司会をすることになろうとは思いませんでした。しかも、こんな身近な方の。

Twitterではすこし流したのですが、去る5月10日に、岐阜市文化センター副館長であった本田秀徳(ほんだ・ひでのり)さん55歳で急逝されました。通夜・告別式は密葬で行われ、お別れを述べることがかなわなかった、勤務先を所管する、(一財)岐阜市公共ホール管理財団の方々が発起人となったものでした。

 

5月12日の夜、かつて文化センターで開催された「詩のボクシング」岐阜大会の際に事業担当としてお世話になったA氏から連絡をいただきました。最初、一体何を言われているのが分かりませんでした。4月の「朗読濃尾」のためにいしぐれ珈琲へ行った際、「体調崩しちゃってさあ、GW明けには退院してくるってさ」という話を聞いていたので、てっきりそのお知らせか思ったのです。

初めてお目にかかったのは2005年12月。名古屋に数年ぶりの大雪が降り、交通機関という交通機関がマヒした日の翌日でした。当時、付き合いのあった三重県の劇団、ゴルジ隊で俳優をしていたわっきふみこから紹介を受けて、「演劇的トーク」という名前の催事を手伝って欲しいということになったのでした。ただ、この時点までに全く面識がないばかりか、どうも台本も企画書も何もないらしい。だけど、来年(2006年)の2月には本番が迫っている。即興的な内容になるらしい。えっ、インプロだからって私に?とにかく訳が分からなかったのです。

それもそのはず。そもそも、当時の自分にとって、演劇だけでなく、アート全体おいて岐阜市という街へのイメージはほぼ、良いも悪いもありませんでした。ジャブジャブサーキット、あとの祭り等個別の団体の名前はしってても、ただ、それだけでした。頭の中で像を結ぶような要素がなにもなかったのでした。

その中で本田さんには、妙な熱がありました。そのことがまず、明らかに異質でした。変なおじさんが目の前にいきなり現れて、早口とはいえない口調でぽつ、ぽつとアイディアを語り続けるのです。私だけでなく、その熱にあてられたかのように、「市民スタッフ」と呼ばれた普通の人たちのアイディアも、妙な熱量にあふれていました。その結果、なんだかよく分からないうちに出来上がったこのイベント、「舞台はどこにある?」は、日本映画黄金期の60年代に活躍された故・田村貫(たむらとおる)さんへの生インタビュー的演劇として、たった1回の上演を終えました。

約12年前のブログの記事、まだ残っています。
https://blog.goo.ne.jp/afrowagen/e/9a3ad5d3844bb4f2749e8e…

当時のちらしはこちら。
http://gifu-civic.info/subsites/menu_detail/5/20

そんな演劇?トークショー?ワークショップ?言葉の定義もそこそこに駆け抜けた市民スタッフの中に、誰であろう、いしぐれ珈琲を開く前の石榑昇司さんがいて、それから2年と少し後のひとり朗読「潜水生活」シリーズのスタートにつながっていくわけです。

その後、「詩のボクシング」岐阜大会に選手としてエントリーしようとした私を押しとどめ、レフェリー/リングアナを振ったり、シネマスコーレの木全さんと一緒に企画した「3日間で作る短編映画」ワークショップに私を巻き込んだり、とりあえず楽しい思いしかこれまでなかったのです。

 

だからなのでしょうか、本田さんがまるで風に吹かれるようにいなくなってしまった今でも、悲しさよりもまず寂しさが、寂しさよりも、後腐れのなさ、さっぱり感が強くあるのです。間違いなく、もっと一緒に楽しいことをして遊びたかったのは確かなのですが、あるいはこの後時間が経てば経つほど、その不在を重く感じるのかもしれませんが。

7月15日の夕方、「サンデービルヂングマーケット」の喧噪が去ったあとの柳ヶ瀬で行われた「偲ぶ会」には、ここまでの10年の間で本田さんが企画された、岐阜市民会館・文化センター専属ビックバンド「楽市JAZZ楽団」音楽総監督の野々田万照さん、音楽監督の粥川なつ紀さんと楽団メンバーの皆さん、「短編映画WS」仕掛け人の片割れ、シネマスコーレの木全純治さん、そして劇団ジャブジャブサーキットのはせひろいちさんご夫妻、劇団芝居屋かいとうらんまの後藤卓也さんと劇団員の皆さん、仕事では前に出たがらなかった本田さんがストレスを発散するように(?)俳優・作り手として参加されていた映画製作集団「石暮探偵事務所」の皆さん、そのほか人、人、ひと。

90人で想定していた客席はとても足りず、140名を超える方に足を運んでいただきました。主催者側の末端に寄せていただいたものとして、深く御礼申し上げます。

会の最後で、はせさんがだいたいこんな感じのことを言われました。「そうでない(つまらない意匠とアイディアしか持ち得ない…ニシムラ注)公共ホールが全国にあまたある中で、会いに行きたいと思う人がいるホール、そこが良いホールなんだ。だからこそ、いま本田さんを失ったこと残念でならない」と。

私も含め、つめかけた誰もが同じ気持ちであったと思います。

ひとも、街も変わっていきます。柳ヶ瀬も同じです。いつかは別れる定めでも、いやいつか別れる定めだからこそ、惜しみなく熱を交わしあいたい。本田さんと出会ってからの岐阜での12年は確実にそんな時間であったように思います。

故人のご冥福を、会の進行上は言いましたが、そんなもの祈りません。だって遠からず自分も行く場所に、本田さんが座を温めに先に動いてくれただけのことですから。いつもそういう風にしてくれた本田さんでしたから。もうしばらく、岐阜で、濃尾平野で頑張りたいと思います。

本田さん、またね。