2019年11月

かの地へ、ふたたび(12月28日)

「さて、もうこれで何もかもおしまいだ」
…と、青空のコンテスト後ゆっくり感慨にふけるような師走があるはずもなく、今年もバタバタの年末年始を過ごすことになりそうです。と、いうのも、5月の「俊読2019」以来、わずか7か月で再び札幌「俊カフェ」の古川さんにお誘いをいただき、ニシムラのひとり朗読が実現する運びとなったからです。

日時は12月28日午後、まさにド年末というべきところですが、2019年のうちにできればやりたいということは自分の方も考えていたことでもありました。昨年、北海道が北海道と命名されて150年の節目の年を迎え、さまざまなイベントが展開されました。昨年の「朗読会拓使」を札幌でやる、となった時、頭にあったのはそのことで、初めての土地で初めての人々と出会うということをタイトルにこめたのでした。

歴史をひもとけば、かつての愛知の人々もそうでした。1879年、尾張徳川家の当主として幕末と維新の乱世を歩み切った徳川慶勝(よしかつ)公が、居場所を失いつつあった旧藩士たちの生きるよすがとして用意したのが、現在の渡島(おしま)総合振興局二海(ふたみ)郡八雲(やくも)町の広大な原野でした。トップページの写真は、その八雲町の風景から切り取ったものです。

右も左も上も下も、厳しい冬も熊による食害も、何も知らない状態で飛び込んで以降、アイヌの人々の力を借りながら懸命に生き延びるしかなかった彼らの歩みを描いた、名古屋出身の小説の大家、城山三郎の歴史大作「冬の派閥(ふゆのはばつ)」を、彼らが八雲に居を定めて140年の節目となる今年のしめくくりに、狸小路の「俊カフェ」で読ませていただこうと思います。【(公財)日本文藝家協会許諾番号第250271号】

札幌のみなさま、道内のみなさま、普段は市内の劇場に尋常ならざるペースで現れる演劇好きのおっさんとしての姿しか知らない皆様にも、私のホームグラウンドはこちらです、と改めて申し上げたい。限定20名のお席です。ご予約は俊カフェ(☎011-211-0204)でも私まで直接( rodoku@afrowagen,net )でも結構です。お忙しい中かとは思いますが、ご来場をお待ち申し上げております。地図はこちらです。

なお、他にあと1本、何か読むかもしれません。何を読むかはこのエントリの中にヒントが隠れていますので探してみてくださいませ…。

納得ー「青空文庫朗読コンテスト⑪」

「今回、獲る気、なかったでしょ?」
終わった後にそのように尋ねられて、あっ、そうそう、確かにそうだった、と思ったのです。

昨年は第2位にあたる銀賞をいただいた「青空文庫朗読コンテスト」に今年も参加して、851名(確か)の予選参加者の中から30名の中に残していただき、昨日、その本選のために大阪に行ってきました。

4つの課題作の中から1つを選んで録音予選/対面予選に参加し、その中からの選抜という流れを経るのですが、今回の私は、江戸川乱歩の「D坂の殺人事件」の抜粋部分を選びました。実はその録音予選の素材を収録したの、札幌でのバカンス中(笑)だったのです。いつもの逗留先のゲストハウスの共有スペースで、パッと録ってサッと送ったのは、その後の「朗読会拓使」の製作期間のスケジュールを考えると最後のタイミングでした。

それでここまで行けたんだから良しとしなければならないのかも、という気持ちと、入賞できなかったから出てないとも同じだなこれ、という気持ちがない交ぜになったまま、ひと晩寝て起きて、午前6時前にこれを書いているところです。

でも、と思います。
今年の進行具合で、今回のようなテキスト解釈で、一昨日のエントリで残したように「書かれた文字を、そのまま読む」ことは、想像した程度に概ねはできました。結果的には声色の表現が混じりましたが、それは「ああいう」風にしか明智小五郎を読めなかった結果です。とてもじゃないけれど、シュッとしたイケメンでイケボで頭脳明晰明朗快活、そんな非の打ち所の全くない人だとは思えなくて。

あ、そうそう。これも終わった後に他の出場者の方に言われたことですが「あんなに『動かしてくる』とは思わなかった」とも。

種を明かせば、「視線や声のベクトルに揺れを作っていたのは明智と「私」が事件現場となった本屋と、道路一本隔てたカフェの、多分テーブル向かい合わせではなくカウンターだろう、そこで、ウエイターなりバーテンの肩越しに、お互いが何を見て何を考えているのかを察しあい感知しあい、店の他の客にもある程度は遠慮しつつ居ようとする2人をどう読んで表現するか、」

という個人的なテーマに即したものだったので、「え?逆に何であそこまで動かないんだろ…?」と思ったのです。それが評価されないのはピンからキリまで私の責任ですし、そういう繊細さをいかに伝えられるようになるか、が私の今後の課題なのだとも言えます。そういう意味で今回審査に当たってくださった審査員の皆様にも深く御礼を申し上げます。

さて、今夜改めてお知らせしますが、来月は再び北海道にうかがいます!12月28日、仕事を早く納めて来ていただけませんか?というお願いです。どうぞよろしくお願いいたします。

ただ、対象だけを(追記済)

ざわつく感情がある。いらつく言葉がある。あからさまな表情がある。そういう時の自分が何をできていないのかといえば、対象を見つめること、くみ取ることだということに気がついたのは、決して昔のことではないように思います。私の場合、それも朗読の最中でした。

少しでも集中を欠けば、それはもう分かりやすい。途端に読めなくなります。予想もしないところでトチります、詰まります。信じがたい状況のまま、持ち時間は終わりに近づきます。幸い、そこまでの惨事に至ったことはありませんが、それと紙一重という瞬間、ヒヤリハットは数知れず、です。

今年もそんな瞬間を永遠のもののように感じる場に立つため、大阪に向かっています。「第11回 青空文庫朗読コンテスト」への出場に備えて、です。昨年と全く同じルーティーンをこなして、明日の本番に備えようと思います。

その出だし、新幹線に乗る前に観てきた、キクマサプロジェクトの「ダダダン寺田屋ァ!!」。昨年は終わった後に報告に行った盟友にして名優・中村宙矢に「獲ろうと思うな。誰かにくれてやる位の気持ちでいろ」と言われ、ああこれも、何を対象にするか、ということなのだなと。

キクプロ、まだまだ良くなりますよ。ぜひ若い役者の皆さん、中村に食らいついていってほしいと思います。何かすれば、それなりのものを返してくれる、いい役者です。演技も、ハートも。

私はただ、対象だけを。ただ書かれてあることだけを読みに行ってきます。また現地から報告します。写真はありませんがその時追加で。

《追記》写真追加しました。望んだ結果ではありませんでしたが、エントリを改めて書きたいと思います。

「朗読会拓使2」終了ご挨拶

名古屋に帰ってきて1日半、帰宅してようやく時間が取れました。10月19、20日に名古屋大須モノコト、11月9,10日に福岡中洲川端のart space tetra で開催した今年の「朗読会拓使」も無事終えることができました。ご来場の皆様、北海道から九州まで、遠くから近くから気にかけていただいた皆様、誠にありがとうございました。改めて深く御礼申し上げます。

別のところでも書きましたが、昨年、札幌での会拓使はイチから十までパートナーの石橋さんにおんぶに抱っこでした。今回の福岡も結果的にそういうことになってしまいましたが、ゲストとしてお招きした福岡在住の朗読家、小島香奈子さん、パーカッショニストのアジさんに「乗っか」った結果、実に頭と心の記憶に残る、楽しくてしょうがないセッションを生み出すことができました。

動画は準備ができ次第、Youtubeにアップしたいと思います。ただ、画角の問題、あるいは敢えて、音声のみの方がいいかもしれないとも感じました。ちょっと考えます。

というのも。

朗読と音楽、というか、人が読む、語る声と、人が奏でる音色が絡みつき、混ざり、互いに少しだけありようを変える、それが一体どういうことなのか、それを今までなく考えさせられた日々であったからです。名古屋では声と天野さんが奏でる音を分離する構成としました。「時代食堂の特別料理」という作品が章ごとの余韻も含めて聞かせる、まるで提供された料理の香りを味わう構造をもっていたということもあります。それは朗読会として、とてもクラシカルだし、そうでなければならなかったと思います。

その一方で、福岡での夢野久作の作品群には、良い意味で洗練されていない。久作の衝動がかなり生のままで露わになっていて、飾りが少ない分、文中の輪郭をより丁寧に辿っていった方がいいだろうな…という思いはありました。だけどどうやって、というアイディアはなかなか出てこなくて、正直なところ焦りが増すばかりだったのです。そこに救世主的な存在で入ってくれたのは、小島さんであり、アジさんでした。藤島さんの低音、私の男声に小島さんの高音が揃って、即興で物語が行く方向を瞬時瞬時で決めていく、まさにジャズのジャム・セッションたいね、とアジさんの言葉通り、ドキドキしながらの3ステージでした。

全く色彩の異なる2都市でのパフォーマンスを通じて、朗読会拓使の基本的なスタイルが少しだけ形になる予感がしてきました。やはり続けることですね。ここでもそう思いました。だから来年もきっと。あくまで自分の勘なのですが、関西方面で何かすることになると思います。詳細が決まりますまで、しばらくお待ちくださいませ。

さて、休む間もなく、なのですが、続きは改めて!