2018年8月

【見るべし】札幌演劇シーズン2018夏 #ses100 「センチメンタル」

夏休みと「朗読会拓使」の準備を兼ねて札幌に滞在中、その2です。「札幌演劇シーズン」2本目、弦巻楽団の「センチメンタル」。昨夜の初日を拝見しました。今日以降25日まで新さっぽろのサンピアザ劇場で上演中です。

先に上げた「12人の怒れる男」も、同じ日に観た「アピカのお城」も千秋楽前日だったため、おすすめしても役立てて頂けた方はほとんどいなかったのではないか、と思いますが、今回はまだ9ステージ残っています。

札幌近郊の方だけではなく、ぜひ内地(本州のこと)の方も旅行ついでにお越しになるといいのではないかと思います。以下、雑感を。

########################

現在から未来に向けてではなく、感傷(Sentimental)は過去に向けてどこまでも遡る。遡るというより、いつまでもそこに留まろうとする。他人にとっては取るに足らない悪あがき、ですらないことがほとんどだ。ほとんどだけなのだけれど、人は生きる分過去ばかりが重くなる。そして知らない間に足を取られ、搦め手に抗えなくなる。
教え子とその親の関係が終わり、紆余曲折を経て夫婦となっても、呼び名は変わらない。先生と呼ばれるその人も、先立たれた前妻と、彼女が残した未完の物語を抱え続けている。彼女との思い出の塊たる自宅が灰燼に帰しても。
そして、そんな先生を前にした彼女もそのことを承知している、わけじゃない。心の底では疑っている。でも許している。許さざるを得ない自分がいることも分かっている。でも。
それぞれが、それぞれの記憶を前に、自らの過去と現在、そして未来に逡巡する。そのとば口に立っている子どもたちの背中越しに、それこそが人生であることを見せている。

##############################

決して一筋縄ではない、そのひとの人生を生きることこそ、望むことに臨むことの尊さを丁寧すぎるほど丁寧に描いたのが、弦巻楽団 @tsurugaku の「#31センチメンタル」です。 ニシムラ、本気でお勧めします。

詳しくは#札幌演劇シーズンの公式サイトをご覧下さい。

#ses100

【見るべし】札幌演劇シーズン2018夏 #ses100 「12人の怒れる男」

夏休みと「朗読会拓使」の準備を兼ねて札幌に滞在中です。札幌の夏といえば、というと冬もそうなんですが「札幌演劇シーズン」ということで、観て歩きはじめました。1本目は「12人の怒れる男」いか、連続ツイートを再掲します。千秋楽は本日14時!ぜひ当日券を狙っていただきたいです。

+++++++++++++++++++++

札幌演劇シーズン2018夏 #ses100 「12人の怒れる男」。2011年の震災直前に名古屋で上演した際、演出助手として稽古場にいた時の情景を思い出しつつ今回も観た。移り変わる時代により受け取り方は変わるだろうが、戯曲はもちろん、演出も俳優陣の演劇も筋の通った素晴らしいものだった。

ルーツはTVドラマとしてだったが、マッカーシーズムが席巻する中で作られた1954年当時のアメリカと、現在の日本が奇妙に、うんざりするほど重なって見えてくるのを上演の進行に追いながら感じていた。陪審員各々から滲む個々の背景と、それに囚われる思考と意見、そして互いへの不寛容。@engekiseason

これまでの上演、私の立ち会った現場でも「差別」をどう扱うかが焦点になった気がする。具体的には移民という出自を明かす11号(水津聡)に対する態度だが、今回の演出が異なり優れていたと感じるのは、そこに更に「冷笑」という要素を乗っけてきたことで、この戯曲が新たな時代性を獲得した気が。

SNS全盛、ちょっと自分のページを開いてたどれば誰かの言動や行動を冷笑する言葉の塊に出会う。すでに稀という言い方はできない程度に。その象徴になっていたのが7号(桜井保一)という書き込みは「ゲキカン」のページ s-e-season.com/gekikan/ でも見た気がするが、自分は違うことを考えた。

真の冷笑は、普段はその表情や態度を見せずに場の空気を推し量るものから最も激しくなされる。その意味で8号(久保隆徳)は勿論、理知的な議事に努める1号(能登英輔)、4号(河野真也)を常に遠い位置から、少年の命や陪審制度自体と共にあざ笑っていたのは10号(小林エレキ)ではないか。

そして、7号の喧しさに隠れて、10号は自ら語らず、自らの思う方向に持って行こうとした。それを9号(山田マサル)に対する侮蔑という形で漏らしたことで6号(齋藤歩)に目ざとく見咎められる瞬間もあるのだが、これはぜひ本番で確認していただきたい。ご覧になっていない方は。

一方で錯綜する議事と意見の応酬に自らを見失い続けるやりとりがより明示的だったのも、今回の特色だと思った。2号(明逸人)と12号(江田由紀浩)の意見の変遷はいつも振り子のようだが、その弱さというのが、現在の私たちの社会が抱える、少数意見へのバッシングと表裏をなすのでは?と感じた。

最後。そういう時代に見た #12人の怒れる男 においても、戯曲の背骨となっている3号、平塚さんと5号(倖田直機)の対峙が、会えずにいる3号の息子にも見えたのは、やはり戯曲、演出、そしてプロデュースワークの勝利だっとのだろうな、ということで。本日千秋楽。あと1回ですよ。当日で!

+++++++++++++++++++++

次回は怪談!8月25日の「朗読濃尾」

当初から、7月28日(土)という日付は、長良川全国選抜花火大会とかぶっていまして、例年なかなかお越しいただける方が少ないということを前回のエントリで書かせていただきました。しかし、日程をその後検討しても、やっぱりカブる形でしかやれなさそうでしたので、ここは普段と角度を変えて、夏の終わりのひとり怪談大会、とまいりたいと思います。8月25日(土)に「朗読濃尾」第105回目を開催いたします。

読むのは、田中貢太郎「赤い土の壺」です。https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/52248_47288.html

普段は「新書太閤記」という、織田側から編まれた歴史を元にした作品を読んでいますが、今回のこの作品は、まったく信長も秀吉も出てきません。斎藤道三から始まった稲葉山斎藤家三代の仲違いから生じた諍いに材をとった作品です。

是非事前に読んでいただいて、その上でどんな風に聞こえるのかということを実際に体験していただけますと、1本で2倍おいしいというグリコみたいな話になることうけあいです。是非いしぐれ珈琲へのご来場をお待ち申し上げております。

なお、トップの写真に意味はありません。ただやってみたかっただけです。後悔はしていません(笑)