2020年6月

こんな風に歳を喰いたい② 出村孝雄先生の口演童話

前稿から続く②です。吉森さんの話を受けて、というほど過去の思い出に振れた話ではなく、むしろ未来に向けた目標のようなものができた、ということで、いつか書き残さねばと思っていた話です。

コロナ禍のまっただ中、外出も極端に少なくなった暇を埋めるように、読んではYoutubeに上げというプロセスを繰り返しました。それまでは柳ヶ瀬での録画を1ヶ月に1本上げるだけだったのですが、この4、5月の2ヶ月で11本のアップです。ユーチューバーって大変だなあ…、と最近すっかり定着した感のあるあの職業の片鱗を体験したような気がしました。今後も上げていきますし、実はこの後、午後4時半に1本上がるのですが。

■そんな中で、これから、岐阜で、柳ヶ瀬で何を読んでいこうかということを考えたのです。もちろん山本周五郎を始め、青空文庫に収録された作品を読んで残していくのは勿論なのですが、できれば地域に根付いた作品を読みたいというのは常に願望を抱いていて、これまでに #麒麟がくる とも絡む吉川英治「新書太閤記」や、岐阜信用金庫の社史的読み物「長良の篝火」を読んできました。そういう作品、どこかにないだろうか、と。

■そう考えていたゴールデンウィーク中、岐阜大学の出村先生のエントリで知りました。出村先生のおじいさまが童話作家であったこと、その口演の模様がアップされたものを拝聴しました。あくまで穏やかに、とても優しい語り口の作品群がすごく良いなあと思うと同時に、カセットテープでの録音を基とする音源に、ある種の凄みを感じたのです。

https://pekeronpa.com/writer/

■子どもたちに聴いてもらう読み、自分にも経験はありますが、何の照れもてらいもなく物語に向かってくる、そのテンションは凄いです。学齢が上がるに従って、読む側の私の声への意識が徐々日に高まってきますが、幼稚園から小1くらいまではそれをも超えて、読む側の存在そのものに突進してくる。自分のコンディションによっては、それは恐怖さえ感じるものかもしれませんし、実際そう感じたことが私にはありました。

■出村孝雄先生の中にも、或いはそんな惑いや恐れはあったのかもしれません。それをみじんも感じさず、どこまでも穏やかで優しい、包み込むような感触。どこまで行けるか分からないけれど、こういう読みを目指したい、と思えたのでした。

■「ペケロンパチャンネル」ぜひ1度、お聴きになってくださいませ。https://www.youtube.com/channel/UC0vrawuUhBALeQPAV8O27hA/

こんな風に歳を喰いたい① 吉森治・賛

「ニシムラさん、さすがに歳を感じますよね」と、10年近く前に一緒にいた元同僚から言われて、そりゃそうだよなあ、と感じたのは、先週末に、否が応にも歳月の流れを思わざるを得ない訃報に接したからでありました。

1998年、新卒。いろいろな所で書いてはいますが、アナウンサーになりたかったはずなのに、大学で演劇にどっぷり浸かってしまい、一切それが頭から消えていたばかりか、生涯初の戯曲なぞも書いてしまうわ、その公演が首尾よくいかなかったことにたまったフラストレーションから、その2年前の暮れには劇団の旗揚げに参加してしまうわ(集中チ(○)療室のこと)という暴挙に及び、その実質的な旗揚げを終えた頃、その人の存在を知りました。立錐の余地もない程埋まった愛知県芸術劇場小ホールの客席から、劇団41年式「幕末純情伝」で暴れるその人、きまたおさむさんの姿に見入っていました。

それから僅か2年で、同じ劇場の舞台に立つことも、さらにそこから下って9年後に、吉森治と改名したその人と一緒に公演に参加することも知る由もありません。ただ今振り返ってみれば、回数は少なかったけれど吉森さんは、私のここまでの人生の節目となる、その少し前に現れるような存在であったように思います。

なぜならそれらの年、特に2009年の後半は、私にとって現在まで続く重要な節目であったからです。他でもない「朗読濃尾(ノーヴィ)」に続くことになる、いしぐれ珈琲でのひとり朗読企画「三十代の潜水生活」が始まったのは、吉森さんとご一緒した試験管ベビー公演「罪なき子供のヒドイ毒」の稽古が始まった8月でした。そこから抜けはあるにせよ124回、11年半も続けることができたのは、あの時叱ってくれただけでなく、その後の折々で気にしてくれていたあの人の存在もきっとあったように思うのです。こんな歳を喰いたい、と感じるような。

それから10年、結果的に吉森さん生前最後の舞台になってしまった試験管ベビーの公演のアフターイベントで、再びご一緒できたのも、また重要な節目になるのかもしれません。「東京ポエマーズ」という、詩に生きる男たちの連作コントで、短時間ながらあの人の隣にいられた幸せを少しだけ噛みしめながら、これからも活動を続けます…と、くどくど書きながらも、つまりはこういう言葉で結びたいと思います。

吉森さん、またねー。