前のエントリで、「俊読2019」への参加が決まったことをご報告しましたが、あれはあくまで北海道でのこと、さあそれに向けて準備するか、と思っていた矢先にこの話が決まりました。
最後に詩を書いたの正確な日付は忘れました。だけど高校2年の終わり頃、きっとじくじく続いていたはじめての恋の告白と、それに見事に破れた頃だった気がするので、当日のトークで言った25年ぶり、ということで間違いないと思います。実は自分なんかより先に、同じクラスの中で授業中にこっそり自作の詩を書いて回してくる後藤君という男がいまして、黙って受け取って、思春期特有の匂いのする文字の羅列を流し読みしながら、「うわあ」と思っていた頃でした。ラジオにどっぷりつかっていたその頃の自分には、目に入る言葉はあまりに生硬でした。だからでしょうか、おれは詩はいいわあ、と感じていました。
時代は下って岐阜での朗読を始める3年前、「詩のボクシング」岐阜大会が岐阜市文化センターで開催されていた時期がありました。そこにエントリーしようとして電話をかけたら、参加を断られたのです。この施設の主催事業「市民スタッフ企画・舞台はどこにある」を終えた直後で仲も良かったのに?と思ったら、すでにスタッフとしての勘定がなされていて、リングアナとレフェリーとして3年間を過ごしました。ああ、やっぱり詩には縁がないんだな、と思っていました。
でも、詩には入っていけなくても、詩のそばにはいたかったのだ、と今にして思います。もっといえば自作詩は無理でも、詩という形式が放つ太い輪郭というか、陰影のうねりを感じていたかった自分がいた、ということを、この「ナゴヤポエトリーリーディング大百科」を通じて気付かされました。桑原滝弥さんはもちろん、旧知の鈴木陽一レモンさん、江藤莅夏さん、18歳?信じられないなああの才能は、の行方知レズさん、そしてもっともなじみ深かったちくさ正文館書店店長、古田一晴さんとの話や、オープンマイク参加の方々のパフォーマンスを聞きながら、私の内側にある物語とそうでない、太い輪郭のものに対するときの向き合い方のヒントをもらいました。幸せな時間でした。
今回の詳しいレポートは、先に江藤さんがTwitterで連投して下さっているので、興味をお持ちの方はそちらをご覧下さい。
ご来場の皆様も含め、ありがとうございました!またお目にかかりましょう!