「ニシムラさん、さすがに歳を感じますよね」と、10年近く前に一緒にいた元同僚から言われて、そりゃそうだよなあ、と感じたのは、先週末に、否が応にも歳月の流れを思わざるを得ない訃報に接したからでありました。
1998年、新卒。いろいろな所で書いてはいますが、アナウンサーになりたかったはずなのに、大学で演劇にどっぷり浸かってしまい、一切それが頭から消えていたばかりか、生涯初の戯曲なぞも書いてしまうわ、その公演が首尾よくいかなかったことにたまったフラストレーションから、その2年前の暮れには劇団の旗揚げに参加してしまうわ(集中チ(○)療室のこと)という暴挙に及び、その実質的な旗揚げを終えた頃、その人の存在を知りました。立錐の余地もない程埋まった愛知県芸術劇場小ホールの客席から、劇団41年式「幕末純情伝」で暴れるその人、きまたおさむさんの姿に見入っていました。
それから僅か2年で、同じ劇場の舞台に立つことも、さらにそこから下って9年後に、吉森治と改名したその人と一緒に公演に参加することも知る由もありません。ただ今振り返ってみれば、回数は少なかったけれど吉森さんは、私のここまでの人生の節目となる、その少し前に現れるような存在であったように思います。
なぜならそれらの年、特に2009年の後半は、私にとって現在まで続く重要な節目であったからです。他でもない「朗読濃尾(ノーヴィ)」に続くことになる、いしぐれ珈琲でのひとり朗読企画「三十代の潜水生活」が始まったのは、吉森さんとご一緒した試験管ベビー公演「罪なき子供のヒドイ毒」の稽古が始まった8月でした。そこから抜けはあるにせよ124回、11年半も続けることができたのは、あの時叱ってくれただけでなく、その後の折々で気にしてくれていたあの人の存在もきっとあったように思うのです。こんな歳を喰いたい、と感じるような。
それから10年、結果的に吉森さん生前最後の舞台になってしまった試験管ベビーの公演のアフターイベントで、再びご一緒できたのも、また重要な節目になるのかもしれません。「東京ポエマーズ」という、詩に生きる男たちの連作コントで、短時間ながらあの人の隣にいられた幸せを少しだけ噛みしめながら、これからも活動を続けます…と、くどくど書きながらも、つまりはこういう言葉で結びたいと思います。
吉森さん、またねー。