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有り難い夜ー「内燃機関4」

まだ24時間しか経っていないはずなのに、ずっと昔の出来事のような、あるいはまだ終わってなくてずっと続いているような、そういう不思議な感覚を抱くイベントでした。他でもない、昨夜(2月15日)行われた「内燃機関4」のことです。聴いていただけた方、誠にありがとうございました。金山ブラジルコーヒーにて行われた本番は、SNSのタイムラインで、ご覧いただいたお客様が複数触れていらっしゃるように、ある種の奇跡が起こった夜のような気がしました。

主催者の方からオファーをいただいたのは、昨年の秋から冬の間のどこかだったと記憶しています。まず、今回共演をさせていただいた今回の皆さんのお名前を聞いて、果たして自分で良いのかしら?と思ったのが最初の感想でした。

特に、二宮友和さんの名前を見つけて、20年前の私に、お前はeasternyouthのベースの人と朗読で共演するんだぞ、と言ってもきっと信じられないだろうななんてことも考えました。正直、震えていました。

まず、1番手の炎上寺ルイコさん。反差別、アンチレイシズムの立場からのぶれない、しかしとても心の琴線に届く浪曲節。以前からご案内の通り、私は春野恵子さんの浪曲公演の制作を務めています。そこに至るまでは、様々な紆余曲折があったわけですが、とにかく私の現在の場所を指し示すパフォーマンス、それに続いて私の朗読の番になりました。

あらかじめ「弱い立場の人々、苦しい境遇に置かれた人たちを見つめるような作品を」というオーダーをいただいていました。山本周五郎をずっと読んできた私にとって、そのような求めに応じて選ぶ作品は「季節のない街」しか考えられず、その中から冒頭作「街へゆく電車」を読みました。舞台となったのは、現在の横浜市南区から西区に至る一帯と言われています。架空の電車を毎朝毎夜操る「六ちゃん」と、その母親「おくにさん」の関係は、現在も、いや現在こそ再び目立つようになってきた、酷薄な社会から忘れ去られてしまったような、そして誰にも看取られずに事切れてからようやく報道により注目されるような存在であり、だからこそ今読むことに意味があるものだと思ったのです。

なお、日本映画の黄金時代が陰りを見せ始めた1970年代、その状況を憂いた黒澤明監督は市川崑、木下恵介、小林正樹監督ほかと「四騎の会」を作り、1本の作品を撮りました。それがこの短編連作集を元にした「どですかでん」です。詳しい内容は実際に本を読んでいただいたり、部分的には下の動画を見ていただければと思いますが、むしろ奇跡は、私の朗読が終わった後に起こった気がします。

というのも先に挙げた二宮さんに、山田参助さん、橋本悠さんのトリオでの演奏に、大げさでなく、私の朗読と、読んだ私自身をどこかへ連れて行ってくれるような思いを抱いたからです。山田さんのボーカルは、まず歌詞の前に、マイクを両手で包みこみ、ある種の擬音を発するところから始まりました。それは見た目不思議なムーブであり、何が始まるんだろうと思った瞬間、まるで私が読んだ舞台の、横浜の丘陵地帯から一気に、今で言うみなとみらいの地域へ向けて吹き下ろす風が起こり、ちょうど岸壁につながれた汽船が発する霧笛にも似た音が、出番を終えて控えていた私の耳に飛び込んできたのでした。

これまで、いろいろな読み手の方、ミュージシャンの方と共演をさせていただきましたが、共演した方のパフォーマンスによって私自身をどこかに連れて行ってくださった、そんな感触を抱かせてくれたのは、この夜が初めてでした。お世辞でも何でもなく。この瞬間に立ち会えただけで、この日に読めて良かった、と心から思いました。

そうだ、私は読むことで、どこかへ行きたかったんだ。

今回、このような場を与えてくださった「内燃機関」主催の水谷さん、ブラジルコーヒーの角田さんを始めとしたスタッフの皆様、そしてもちろん共演のルイコさん、二宮さん、山田さん、橋本さんに、重ねて御礼を申し上げます。

そしてまた是非、どこかでご一緒させてください!ありがとうございました!!

考え違いー身体にことばを入れること

新年以来、Twitterは別にしてしばらく長い文章を書いていませんでした。理由はいくつかあるのですが、そこまでのことと、明日のことを書きたいと思います。

昨年11月の「青空文庫朗読コンテスト」が終わった後、札幌に行って、明日に備えて稽古をはじめるまで、この活動日報やFacebookにも残しましたが、「書いてあるものを読めばいい」と思っていましたし、実際そうしていました。しかしこれは、ある種の逃避だった。逃げていたなと気付きました。

読むことばに、予断や力みを持つことなく向き合うことはとても大切だと思います。しかしそれは、書かれた世界のことを余すことなく自分の身体と意識の中に落とし込んで、まがりなりにもそのすべてを隈なく見通すことができる、とある納得を得た上でこそ可能になるのです。このあたりが、より正確性と瞬発力と、時にはひらめきを必要とされる、一般のリーディングやアナウンスメントと朗読が異なるなのかもしれません。

そういうことを考えながら、この3週間くらいは1本の短い原稿に向き合っていました。それが明日の「第9回 朗読コンクール」(主催:日本朗読文化協会)の準備でした。明日の今頃には新幹線で東京に着いている頃だと思います。もし、今からでも聴きに来ていただけるという方、いらっしゃいましたらお知らせください。チケット、まだご用意できると思いますので。

残念ながらという方は、こちらを。先週の柳ヶ瀬で収録した、山本周五郎「赤ひげ診療譚(たん)」の冒頭作、「狂女の話」です。編集面でもすこし工夫をしつつ、YouTubeにアップしました。この後、朝9時ごろには全編を見られるようになるはずです。どうぞよろしくお願いいたします。次の柳ヶ瀬は、2月29日(土)です。

「三十代の潜水生活」→「朗読濃尾(ノーヴィ)」そして10周年!

昨年2月に通算100回、今はどんどん取り壊し工事が続く旧・高島屋南商店街で109回までやって、今の日ノ出町の「いしぐれ珈琲」新店舗に移り……と、わりとめまぐるしいカウントを刻んでいましたが、もう1つ大きなものがあることを忘れていました。

「三十代の潜水生活」の名前で柳ヶ瀬でスタートしたのが2009年8月22日。それから114回の開催を刻んで、次回で満10年を迎えることとなりました。33歳の末から43歳の末まで、と言葉にしてみれば簡単なものですが、そんなに経ってしまったんですね。謙遜でも何でもなく、大して読むのが上手いわけでもないので、とにかくどんな形でもいいから続けようなんとしても、とは思ってきました。その意味では、少しは目標を達成できたのかもな、とも感じています。当時の写真はこんな感じです。

迷ったら基礎に、惑ったら最初に戻るということは昔から決めていたことです。今回の節目も、「俊読」終了後少し迷った時期がありましたし、その姿勢を踏襲して、2010年11月に読みました山本周五郎「町奉行日記」から「金五十両」(きんごじゅうりょう)という作品を再び取り上げたいと思います。

その時の冒頭「その1」から「その4」を改めてご紹介します。当時は動画を編集する技能も皆無に近かったので、iPhone3GS(!)に撮った動画を適当に分割してアップロードしていました。以下のURLです。

☆その1☆

☆その2☆

☆その3☆

☆その4☆

現在よりも心なしか、声が細いような気がします。これが約9年を経てどのように変わっているのか、あるいは変わっていないのか、比較しながらお楽しみいただけると有り難いです。今度は全編を1本の動画でアップロードいたしますので、遠方でお越しいただけない方も、是非楽しみにお待ちいただければと思います。よろしくお願いいたします。

開催情報はトップページをご覧くださいませ!!