02_わたしについて/About

 

ニシムラタツヤ(Nishimura Tatsuya)

1975年9月24日、中途半端に暑くて寒い尾張国一宮市生まれ。B型。

一宮市立浅井中小学校5年生の時に、引っ込み思案のくせに目立ちたがり屋という現在まで続くやっかいな性格を勘違いして放送委員会に入り、マイクの前でなんかする快感を、国語の本読みの時間に頼まれもしないのに方言を再現した音読を行い、客を湧かせる勘どころに出会う(自在にできるとは言ってない)。

続いて隣接する一宮市立浅井中学校入学。図ったように肥満児、いじめの対象となっていた毎日のよりどころとなったのはAMラジオ。特に西川のりお師匠と柏木宏之アナウンサーの「MBSヤングタウン日曜日」(毎日放送)、「冨田和音株式会社」(CBCラジオ)「ラジオでフライデート・夜はこれから」(同)、「さだまさしのセイ!ヤング」(東海ラジオ)、「ヤングスタジオ1431」(岐阜放送)に出会う。ラジオ局のアナウンサーを将来の職業として志す。

愛知県立一宮高等学校入学後、迷うことなく放送部の門を叩いたら、翌日から女子の先輩が全員来なくなったため、仕方なく同級生の男2人を無理矢理誘って何とか毎日の放送を出し始める。毎日噛みまくるがむしろフランクな話し方がカッコいい、という思春期にありがちな超絶勘違い大セール期間中だったため、女子にフラれまくる。この影響は現在まで続く。

しかしそんな中でも3年生の夏、ようやく放送部の甲子園ともいうべき「NHK杯全国高校放送コンテスト」愛知県大会朗読の部で168名の予選から20名の決勝に進出。あと1歩で東京に行けるところだったが、決勝の課題原稿、さくらももこ先生の「もものかんずめ」に撃沈。

そしてちょうど同じ頃、高校演劇の手伝いをしていた影響で観に行った小劇場に心つかまれてしまい「よし大学入ったら演劇だ!」と人生2度目の大きな勘違いをするが、この時はまだ気がついていない。

国公立の受験に失敗し、南山大学文学部人類学科に入学するも、授業よりも演劇部の部室で「ガラスの仮面」を読む時間の方が長い2年間を過ごし、気がつけばマスコミ就職のタイミングをすっかり逃すほど公演活動に勤しむ。そしてあろうことか3年生の冬、つまり1996年の年末、「劇集団集中チ療室」の旗揚げに参加する。割と堅めの就職後も続き、役者兼制作として11本の公演(ライブ)に参加の後、2003年4月に退団。

このタイミングで、ほぼ10年忘れていた朗読のことを思い出す。実は岐阜放送の採用試験をこっそり受けてこっそり落ちたが、とりあえずはじめてしまえ、と2004年12月からひとり朗読シリーズ「二十代の潜水生活」をスタートさせる。「朗読濃尾(ノーヴィ)」に名を変えながら、2022年夏までに岐阜市で通算142回、名古屋市内でも20回前後を数える長期シリーズは現在も継続中である。尚この間、発声法とアーティキュレーションを戸谷美恵子氏に師事、イチからたたき直して頂く知遇を得る。人生の宝物である。

なお、2012年、14〜16、18年の通算5度にわたり、(一社)日本朗読検定協会主催の「青空文庫朗読コンテスト」で全国大会本選進出。うち15年には審査員特別賞、16、18年の大会では第2位にあたる銀賞を受ける。

2019年5月、札幌市の「俊カフェ」の招へいを受け、詩人・谷川俊太郎のトリビュートライブ企画「俊読(しゅんどく)」に出演。「コカコーラ・レッスン」全編をご本人の前で読むという希有すぎる機会をいただく。

2022年8月31日をもって、俳優を引退。また、演劇以外の制作も手がけていくことから肩書を「朗読者/公演制作者」とする。

なお、これは家族から書けと言われたので書くが、婚活中である。

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