5:55/札幌・俊読2019のために2

俊読2019を終えて、いろいろ済ませつつ先ほど自宅に帰り着きました。昨夜から今朝にかけてはまるで整理できていなかったのですが、今日、ここ1年と少しの間にお世話になった札幌の方々の間を歩くうちに整理できてきたような気がします。

日曜日の夜に狸小路・Fiestaで行われたあの3時間余り、満席の皆さんの前で、谷川俊太郎さんの詩を、ご本人も聞かれる中で読むという希有な機会であった以上に、自分にとっての大きな大きな「節目」が刻まれた日になりました、って、これまでの人生で何度でも言ってきたような気もするのですが、今回はほんとに違いました。あらかじめこうなるように用意されていたとしか思えないような。

1975年9月24日に私は愛知県一宮市の一宮市立市民病院で生まれました。時刻は午前5時55分でした、本来の出産予定日から2週間も遅れ、おとめ座からてんびん座へ、星座も変わってからこの世界に出てくることになりました。

今回の俊読をお聴きいただいた方も、言われなければ気付かれないことですので、あえて申し上げます。主催者のかたわれ、桑原滝弥さんには昨夜、打ち上げの席でぼそっと伝えました。

当日の予定をメールでもらって驚きました。私の今回の出番となる時間も、5時55分でした。

気がついたらいじめられっ子でした。身体が強くなければと、という親の意向で水泳に通いました。少年野球に入りました。補欠でした。中学で太ってきたら相撲に、そして入学した高校の放送部で朗読に出会いました。演劇に寄り道しながらまた朗読に戻ってきました。その曲折を、昨日という、未来のある時点であったあの場所で、最初から私は見透かされていたのかもしれません。

そういう意味で、私の歩みは昨日、5月26日にこれまでの人生で最も大きな節目を迎えた上で、振り出しに戻ったのかもしれません。つまり、43歳と8ヶ月と少しで、私は死んだのかもしれません。そしてその瞬間、同じ日同じ時間に、また生まれて新たな人生を歩み始めたのではないか、と。

この文章を書き始めて、断続的に2日目に入りました。本番の細かい内容などはこのまま、Facebookでご紹介しながら、続きはあちらで結ぼうと思います。よろしければ是非そちらもお読み下さい。

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