2018年7月

明日の「朗読濃尾」は中止・延期します

今夜から明日にかけて、台風12号の東海地方への接近が心配されているようです。Yahoo!天気でも、岐阜県は「雨や雷雨で大荒れの天気となり」との予報がされています。

https://weather.yahoo.co.jp/weather/jp/21/

また、ちょうど裏で(お前の方が裏だろと言われること必至ですが)開催予定でした、「全国選抜長良川中日花火大会」も、8月25日に延期となったそうです。

http://www.chunichi.co.jp/chuhana/

というわけで、毎度この時期ばかりはお客様の足も遠のいてしまう回でもある上にこの天気となることですし、今回はこちらも中止とし、また改めて開催の日程を決めたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

写真の木曽川(笠松付近)も、どうか氾濫などが起こりませんように…。

劇場は人ー本田秀徳さんを送るー

葬儀というものに参列したことはもう両手でも余るようになってしまいましたが、まさか自分が誰かの「偲ぶ会」の司会をすることになろうとは思いませんでした。しかも、こんな身近な方の。

Twitterではすこし流したのですが、去る5月10日に、岐阜市文化センター副館長であった本田秀徳(ほんだ・ひでのり)さん55歳で急逝されました。通夜・告別式は密葬で行われ、お別れを述べることがかなわなかった、勤務先を所管する、(一財)岐阜市公共ホール管理財団の方々が発起人となったものでした。

 

5月12日の夜、かつて文化センターで開催された「詩のボクシング」岐阜大会の際に事業担当としてお世話になったA氏から連絡をいただきました。最初、一体何を言われているのが分かりませんでした。4月の「朗読濃尾」のためにいしぐれ珈琲へ行った際、「体調崩しちゃってさあ、GW明けには退院してくるってさ」という話を聞いていたので、てっきりそのお知らせか思ったのです。

初めてお目にかかったのは2005年12月。名古屋に数年ぶりの大雪が降り、交通機関という交通機関がマヒした日の翌日でした。当時、付き合いのあった三重県の劇団、ゴルジ隊で俳優をしていたわっきふみこから紹介を受けて、「演劇的トーク」という名前の催事を手伝って欲しいということになったのでした。ただ、この時点までに全く面識がないばかりか、どうも台本も企画書も何もないらしい。だけど、来年(2006年)の2月には本番が迫っている。即興的な内容になるらしい。えっ、インプロだからって私に?とにかく訳が分からなかったのです。

それもそのはず。そもそも、当時の自分にとって、演劇だけでなく、アート全体おいて岐阜市という街へのイメージはほぼ、良いも悪いもありませんでした。ジャブジャブサーキット、あとの祭り等個別の団体の名前はしってても、ただ、それだけでした。頭の中で像を結ぶような要素がなにもなかったのでした。

その中で本田さんには、妙な熱がありました。そのことがまず、明らかに異質でした。変なおじさんが目の前にいきなり現れて、早口とはいえない口調でぽつ、ぽつとアイディアを語り続けるのです。私だけでなく、その熱にあてられたかのように、「市民スタッフ」と呼ばれた普通の人たちのアイディアも、妙な熱量にあふれていました。その結果、なんだかよく分からないうちに出来上がったこのイベント、「舞台はどこにある?」は、日本映画黄金期の60年代に活躍された故・田村貫(たむらとおる)さんへの生インタビュー的演劇として、たった1回の上演を終えました。

約12年前のブログの記事、まだ残っています。
https://blog.goo.ne.jp/afrowagen/e/9a3ad5d3844bb4f2749e8e…

当時のちらしはこちら。
http://gifu-civic.info/subsites/menu_detail/5/20

そんな演劇?トークショー?ワークショップ?言葉の定義もそこそこに駆け抜けた市民スタッフの中に、誰であろう、いしぐれ珈琲を開く前の石榑昇司さんがいて、それから2年と少し後のひとり朗読「潜水生活」シリーズのスタートにつながっていくわけです。

その後、「詩のボクシング」岐阜大会に選手としてエントリーしようとした私を押しとどめ、レフェリー/リングアナを振ったり、シネマスコーレの木全さんと一緒に企画した「3日間で作る短編映画」ワークショップに私を巻き込んだり、とりあえず楽しい思いしかこれまでなかったのです。

 

だからなのでしょうか、本田さんがまるで風に吹かれるようにいなくなってしまった今でも、悲しさよりもまず寂しさが、寂しさよりも、後腐れのなさ、さっぱり感が強くあるのです。間違いなく、もっと一緒に楽しいことをして遊びたかったのは確かなのですが、あるいはこの後時間が経てば経つほど、その不在を重く感じるのかもしれませんが。

7月15日の夕方、「サンデービルヂングマーケット」の喧噪が去ったあとの柳ヶ瀬で行われた「偲ぶ会」には、ここまでの10年の間で本田さんが企画された、岐阜市民会館・文化センター専属ビックバンド「楽市JAZZ楽団」音楽総監督の野々田万照さん、音楽監督の粥川なつ紀さんと楽団メンバーの皆さん、「短編映画WS」仕掛け人の片割れ、シネマスコーレの木全純治さん、そして劇団ジャブジャブサーキットのはせひろいちさんご夫妻、劇団芝居屋かいとうらんまの後藤卓也さんと劇団員の皆さん、仕事では前に出たがらなかった本田さんがストレスを発散するように(?)俳優・作り手として参加されていた映画製作集団「石暮探偵事務所」の皆さん、そのほか人、人、ひと。

90人で想定していた客席はとても足りず、140名を超える方に足を運んでいただきました。主催者側の末端に寄せていただいたものとして、深く御礼申し上げます。

会の最後で、はせさんがだいたいこんな感じのことを言われました。「そうでない(つまらない意匠とアイディアしか持ち得ない…ニシムラ注)公共ホールが全国にあまたある中で、会いに行きたいと思う人がいるホール、そこが良いホールなんだ。だからこそ、いま本田さんを失ったこと残念でならない」と。

私も含め、つめかけた誰もが同じ気持ちであったと思います。

ひとも、街も変わっていきます。柳ヶ瀬も同じです。いつかは別れる定めでも、いやいつか別れる定めだからこそ、惜しみなく熱を交わしあいたい。本田さんと出会ってからの岐阜での12年は確実にそんな時間であったように思います。

故人のご冥福を、会の進行上は言いましたが、そんなもの祈りません。だって遠からず自分も行く場所に、本田さんが座を温めに先に動いてくれただけのことですから。いつもそういう風にしてくれた本田さんでしたから。もうしばらく、岐阜で、濃尾平野で頑張りたいと思います。

本田さん、またね。

 

「朗読濃尾」7〜9月の予定

本当に蒸し暑い柳ヶ瀬の夕方でした。今夜も「朗読濃尾」、街ゆく皆さんに聴いていただきながら、通算104回目が終わりました。ありがとうございました。

よりよい毎日の生活のために、あるいは特別な一瞬に高いパフォーマンスを求めるために自身が刻む習慣、くせというものがあります。最近の言い方ではルーティーンと言ってもいいかもしれません。私にとって柳ヶ瀬・いしぐれ珈琲での朗読はすでにそのものがルーティーンになっているという自覚があります。

同時にそれは、惰性に流れて、毎回適当に同じことをやっているだけでは決して良いことにはならない。むしろ、続けている分、簡単にそちらに転んでしまう危険性を常に孕(はら)んでいるとも言えます。

ということで、次回の「朗読濃尾」は7月28日(土曜日)です。これも毎年恒例のことになりましたが、この日は岐阜の街が1年で最も賑わうと言っても過言でない、「第62回 全国選抜長良川中日花火大会」の開催日です。

第62回 全国選抜長良川中日花火大会
http://www.chunichi.co.jp/chuhana/nagaragawa/

それに因みまして、「新書太閤記」はお休みして、花火に関する物語を、夜の部の邪魔にならないように、午後6時からお送りしようと思います。花火の前に、是非お立ち寄りくださいませ!

そして、ここからの3ヶ月の予定です。

その33(通算第105回)7月28日(土曜日)午後6時00分から
その34(通算第106回)8月26日(土曜日)午後6時30分から
その35(通算第107回)9月22日(土曜日)午後6時30分から

で、この9月が終わった翌週から「朗読会拓使」です!